Kanna no Kanna RAW novel - chapter (39)
第三十六話 戦闘中に「◯◯◯」しちゃいけないとは誰も言っていない
「まぁ特に気構える必要は無いでござるよ。試験内容はギルド側が用意した試験官、あるいは試験官代わりに雇った冒険者との模擬戦でござる。勝ち負けそのものは試験の合否に関係はなく、試験官が受験者の実力のほどを見極めて判断するでござる。なぁに、曲がりなりにも拙者を倒したカンナ氏の実力ならば合格は容易いでござるよ」
「や、あれは相当に運が絡んでたんだって」
「謙遜も過ぎれば嫌みでござるぞ。ならば、先日まで行っていたアガット氏との訓練を思い出せばいいでござるよ。彼は魔術式こそ扱えないようでござったが、剣術はかなりのモノ。それに対応できているのならばEランクになるのは問題ないはずでござる」
早歩きで試験会場を目指しながら俺たちは言葉を交わす。筆記試験が無いようでホッとしていた。
「武器は何でも良いのか?」
「無論でござるが、使用を許可されるのはギルド側が用意した刃を潰した模擬戦用の武器でござる。ただ、カンナ氏のように刃の無い打撃中心の武器ならばそのまま使用を許可される場合もあるでござるが、そこは試験官の裁量でござるな」
「随分と詳しく説明してくれるな。これって冒険者の中では一般常識なのか?」
「Cランクの依頼の中には、『新規登録者の試験官』というモノもあるでござる。これはBランクに昇格するために必須の依頼でござるから、Cランクの上を目指すものなら誰でも知っているでござるよ」
そうこうと話をしていると、両開きの扉までたどり着く。クロエに扉上に書いてある表札を読んでもらうと、ここが試験会場のようだ。
押して開くと開けた空間の一室だった。高校にあった剣道場に雰囲気は近いか。
上座と思わしき場所には試験官らしい冒険者風の男性。その両脇には書類を持った職員姿の男性と女性が一人ずつ。それらと向き合うように十五名の男女が集まっていた。年齢は若者が中心だ。男女の混合比は若干だけ男よりか。
試験官は俺が室内に入るのを確認すると。
「どうやら最後の新規登録希望者が来たようだな。そこの君、そろそろ始まるから早く来なさい。隣の女性は付き添いだな。あなたは端の方で待機していて下さい。わかっていると思うが」
「大丈夫でござるよ。手を出すつもりは毛頭ござらん」
では頑張るでござるよ、と軽い激励を受け、俺は新規登録者の集団の中に入った。クロエは試験官に言われたとおり、室内の壁際に背中を預ける。
「では、これよりギルドの新規登録試験を行いたいと思う」
試験官は登録希望者達の顔ぶれを一通り見渡す。
「おそらく受付の職員から聞かされていると思うが、試験の内容は俺との一対一の模擬戦だ。勝敗は関係ない。君たちは現時点での実力を尽くしてくれればいい。その内容の如何はこちらが判断する。最初に名前を呼ばれたモノはあちらの方にある試験用の武器を持って中央に来てくれ」
彼から向かって左側にある壁には、様々な形状をした武器が立てかけてあった。あれの中から選べばいいか。
「他の者は悪いが、自分の名前が呼ばれるまで壁際で見学だ。では、早速だが一番ーーーー」
一番手に名前を呼ばれたのは俺よりもさらに若い少年だ。なんつーか幼さが抜け切っていない。彼は壁に立て掛けてある物の中からオーソドックスにショートソードと盾を選択した。
対して試験官の方は両手持ちの剣だ。レアルの持つ常識ブレイカーな代物ではなく、片手でも両手でも扱うことを考慮したバスタードソード。左腕にはバックラーと呼ばれるのだろう小振りの丸い盾だ。
俺は試験官の説明の通り、他の受験者と同じく壁際に寄った。どうせならとクロエの傍に向かう。
中央の二人は向かい合って立つとそれぞれの得物を構える。試験官の男は受験者の準備が整ったのを確認すると、少し離れた位置にいる男性職員の方に頷いて合図を送る。それを受け取った職員は右手を直上に掲げた。
「ではこれよりEランクの登録試験を開始します」
彼は小さく息を呑み。
「始めッ!」
始まりの合図と共に、最初に動き出したのは受験者の少年だ。
右手に持つ剣を振りかぶり、突撃。思い切りのいい初手だが、どうにも鋭さが足りなく見える。アガットと暫く訓練で手を合わせた影響か、少しだけ目が肥えたのかもしれない。つーか、折角盾を持ってるのにその攻撃の仕方はどうなのよ。
案の定というか、受験生の振り下ろされた剣は試験官のバックラーによって難なく払われ、ついでとばかりに右手に持っていた長剣を薙払う。受験生の左側には盾があったのだが、剣を払われたことで体勢が崩れたのか踏ん張りが利かない。試験官の長剣を盾に受けるも、勢いに負けて派手に転ばされた。そして、体勢を立て直す前に、長剣の切っ先が喉元に突きつけられた。勝負ありだ。
「話にならないな。基礎からしっかり学んで出直してきたまえ」
うん、俺もそう思う。ぶっちゃけお話にならないレベルだ。なぜに盾を選んだと言ってやりたい。あれだったらむしろ盾を装備せず、片手剣を両手でもって全力フルスイングしたほうが効果的だったろう。
受験生の少年は失望の言葉と視線を送られて悔しげに表情を歪めた。改めてみると本当に若いな。現実世界で言えばようやく中学生になったくらいだ。
彼は試験官を睨みつけると渋々と立ち上がり、借りていた武器を元の位置に戻すと壁際に体躯座りになって顔を伏せた。や、悔しいのはわかるんだけど、もうちょっとどうにかならなかったんか?
制服姿の職員二人は、手元の書類になにやら書き記している。実技を担当する試験官に対して、客観に受験生を判断する役割を持っているのだろう。
続けて試験官が二人目の受験生の名を呼んだ。今度は女性だ。得物は槍。最初と同じく試験官と受験者が中央に立つと、職員が開始の合図を送る。
一番手と比べて、今度は中々見応えのある戦いとなった。受験生の女性は槍の長いリーチを最大限に利用し、鋭い突きを乱れに放つ。離れた位置にいても風を貫く音が聞こえてきそうだ。試験官はその乱突きの弾幕によって女性へと踏み込むことが出来ず、長剣とバックラーを使って攻撃をいなしていく。ただ、槍を裁く動きは非常に落ち着いており、試験官の顔も冷静だ。何となくこの後の展開が読めたな。
連続して突きを放っていた女性だったが、その表情は涼しげな試験官と真逆に険しくなっていく。そして、唐突にだが突きの乱射が淀んだ。
あれだけ突きを乱れに撃ったのだ。息を吸っている暇など無いだろうさ。女性は酸欠に堪えきれず、咄嗟に大きな呼吸をしてしまう。その隙を逃さずに、試験官は突き出された槍を余所に一気に踏み込んで女性へと剣を振り下ろす。勿論寸止めだ。直上からの一太刀は彼女の肩口に触れる寸前で停止していた。
「格上の相手に最初から全開で向かうのは悪くない選択肢だ。突きの鋭さもあの数を撃っていながらなかなかの練度。あともう一段階連射の速度が速ければ十分すぎる武器になるだろう」
気落ちする女性の肩を微笑みながら叩く。最初の少年と違い、今度は純粋なアドバイスといった風だ。彼の言葉を受け取った女性は、深々と頷き中央から離れた。
そこからどんどん受験生の名前が呼ばれていく。最初の少年のように明らかに実力が足りていない者もいれば、結構な粘りを見せる者もいた。前者には「出直してこい」と言外に伝え、後者にはアドバイスを送っている。これはそのまま合否に繋がっていそうだな。合格っぽい雰囲気の方が多いな。駄目なのは三人か四人。
お、そうこうしているうちに十五番目まで回る。順番からして次は俺か。俺と同じくらいの歳の男か。
…………にしては装備が異様に整っている。他の物は、実利重視で且つ安上がりだろう皮の鎧だ。冒険者の入門装備としては定番だ。けれどもそいつの装備は体の至る所に金属製の防具を纏っていた。しかも、所々に豪華な装飾が施されており、一際の異様さを放っている。とてもではないが、成り上がろうと心機一転に挑む若者には見えない。
軽薄な笑みを浮かべる顔立ちもどことなく整っている。や、ランドほどに歳を重ねたダンディさも無ければアガットのような精悍さも無い。某ヘタレのような爽やかさも足りない。表面ばかりの薄っぺらさが見える。身近にイケメンをよく見てきたせいか、評論家みたいになっている。あまり嬉しくない。
「あの者はおそらく貴族でござるな」
隣のクロエがポソリと言った。言われると納得の風貌だが疑問も出てくる。
「貴族のお坊ちゃまがなんで冒険者になるんだ?」
「珍しくはあれど、貴族の子息が冒険者になることはあるでござるよ。理由は様々でござるな。貴族暮らしを嫌い、冒険者を志す者もいれば、貧乏貴族が財政難を改善するために、などといった具合に。腕さえ伴ってさえいれば、冒険者の収入は魅力的でござるからな」
少なくとも、財政難で志しているような身なりではないな。
そんな薄らイケメンは両手にそれぞれ片手剣を選んで会場の中央に立っていた。この世界では初めて見る二刀流だ。あれは一見してかっこよく見えるが、実際に扱うとなるとかなり難しいと聞く。
それまでの受験生と同じく、イケメンは会場中央で試験官と向き合うと両手の剣を構えた。
「堂に入った構えでござるな」
クロエの言うとおり、かなり様になっている。軽薄そうな外見に反して見せかけの二刀流ではなさそうだ。実力のほどはいかほどだろうか。
ん? 職員が始まりの合図として手を挙げたところで、イケメンの視線がこちらを向いた。その先にいるのは俺ーーーーではなく、隣のクロエだ。奴は彼女にスマイルを送った後、試験官の方へと向き直った。
「…………何だったんでござるか?」
首を傾げるクロエだった。
クロエの容姿は普通に美少女、美女と称しても問題ない位だ。スタイルも良いし、俺的には獣耳尻尾が備わっているのが強い。何より巨乳だ。会場にいる野郎の視線をちらほらと集めている。あの貴族なイケメンも同じだろう。視線で『コナ』を掛けたっぽいが、本人には全く伝わっていないぞ。残念に、とは思うまい。馬鹿めッ!と心の中であざ笑っておく。
結末だけを言うと、イケメンの二刀流は確かに見せかけだけではなく、かなり洗練されていた。これまでの受験生の中では一番の実力を持っていたと見えた。が、少し打ち合った後、試験官にあっさりと左手の剣を弾き飛ばされて終了。詳しく解説しないのは、奴にそんな時間を割いてやるほど俺の心が広くなかっただけの話だ。
しかし、あの試験官の男は本当に強いな。十人以上の相手に手加減をしながら打ち合っていたのに殆ど息を乱していない。技量が隔絶している証拠だ。彼の現在のランクが気になるところ。
「クロエ的に、あの試験官のランクって幾つだと思う?」
「Bへの昇格を目指すCランクで無いことは間違い無いでござるな。実力の下の者との立ち会いに慣れているように見えるでござる。おそらくBランクでござろう」
Bランクと思わしき試験官はそれまで通りにイケメンへアドバイスしているが、受けている本人は歯が軋むほどに噛みしめていた。プライド高そうだな。負けたことがそんなに悔しいのか。や、あの表情は単純に負けたことではなく、自分が負けたことを認められない風だ。よく見たことがあるから分かる。俺にとっては馴染みの深い顔だった。
イケメンの回が終わり、いよいよ俺の名前が呼ばれた。
「頑張るでござるよ。カンナ氏なら合格間違い無しでござる」
「プレッシャー与えないでくれ。けどま、頑張ってくるさ」
クロエの言葉を受けて俺は会場の中央に向かう。と、入れ違いに中央から離れたイケメンがこちらに向かってくる。憤怒の表情を無理矢理押さえ込み、再度軽薄な笑みを浮かべている。相対的に近づいてくる俺は眼中にないようで、視線は完璧にクロエをロックオンしている。
ふむ、気に入らんな。
クロエは別に俺の彼女ではないが、多少なりとも関係を持った相手だ。恋愛に口を出すのは野暮だが、あの軽薄なイケメンがクロエを幸せにできるとはどうしても思えない。そうでなくとも、奴がクロエに声を掛けることがそもそも腹が立った。
俺はイケメンとすれ違うタイミングで精霊に語りかけた。
(やれ)
ーーーーイエッサーッ!
などと精霊の声が聞こえてきた気がした。しかも凄く生き生きとした感じに。
俺の命に従い、イケメンの進む進行方向上の床をガッチガチに凍り付かせる。瞬時に、極限にまで摩擦を減らしたトラップ床の完成だ。イケメンは即席に生まれた罠に気づきもせず、その足場をしっかりと踏みしめた。
「は?」
イケメンが声を漏らしたときには既に、まるでコントでバナナの皮を踏んづけた芸人のような見事な転倒っぷりを披露していた。滑った足が直上へと上がり、つられてもう片方の足も振り上げられる。彼の体は一瞬だが完全に宙の上にあった。見なくとも気配で分かる。
時が凍り付いた。少なくともイケメンの中では。
そして。
ーーーーゴンッ!
「ぬごおッ!?」
イケメンらしからぬ鈍い悲鳴だ。今の音は奴の後頭部が地面に激突した音だろう。そして、その悲鳴と音を残し、イケメンは動かなくなった。や、死んでないぞ。気絶しただけだから。
その光景を目撃した会場内の者たちの間で何ともいえない空気が漂っている中、俺は気にせずに会場の中央に到着した。おっと、忘れずに精霊に命じて証拠は隠滅しておく。
「よろしくお願いします」
試験官と向き合った俺は一礼する。対して彼はスッテンコロリンしたイケメンの方を向いたまま固まっていた。少し離れたところにいる職員二人も同様だ。よかったなイケメン。おまえのネタはこの場の注目を一身に浴びたぞ。欲を言えば観客がもっと欲しいところだ。
時間差で俺が中央に来ていたのに気がつき、試験官はあわててこちらの方を向いた。
「で、ではこれより今回最後の新規登録の試験を行う」
さて、イケメン相手に溜飲は下がったし、目の前の試験に集中するとするかい。
開始の合図がされる前に、試験官が口を開いた。
「どうやら武器を持っていないようだが、まさか素手でかい?」
「や、一応こいつらが俺の得物です」
俺は自分が装備している手甲、脚甲を指さす。試験官は俺の答えに戸惑いを見せるも、首を横に振った。
「…………いや、君も相応の覚悟を持って冒険者を志すのだろう。それに口を出すのは野暮と言うものだ」
ごめんなさい。暇つぶしと小銭稼ぎが目的です。などと口にすれば試験官の好感度が急転直下するのは明らかなので唇にチャックである。
しかし、いかに得物代わりの防具を付けているとはいえ、拳と長剣のリーチ差は歴然だ。
そもそも俺の戦闘は精霊術を絡めるのを前提で、格闘は補助の域を出ない。かといってこの場で精霊術を使うのは止めておきたい。ただでさえ『氷』というだけで珍しいのに、魔力無しに魔力紛いの術を使うのも注目の的になるだろう。できるだけ衆目の前では控えたい。
かといって、純粋な技量勝負になれば、まずお話にならない。レアルやアガットのお陰で以前より格闘戦の技量は上がったが、多少の域を越えない。せいぜい、一番最初に出てきた当て馬のような若い受験生に勝てるのがせいぜい。悔しいが直前のイケメン芸人には勝てないだろう。
とすると、いつものように策が必要になるのだが。
(剣を投げても普通に反応しそうだしなぁ。目潰しするにも屋内だから掴める砂もないし、毒霧作戦は流石に不味い。穴掘るにしても会場の床は堅そうだ。剣を掴むか? や、俺の腕力じゃ多分力負けする)
現実世界で経験したろくでもない勝ちパターンを検索するが、相手と場の状況と照らし合わせても答えが出ない。普通の戦闘ならその時点で逃げの一手だが、流石に試験を逃げるわけにも行かない。前提から覆すことになる。
(……………………超博打技なら一つだけあったな)
以前に読んだボクシングマンガで登場した技を一度だけ実戦で使ったことがある。凄まじい労力が必要な技で、二度と使いたくなかったが、他に通用しそうな手段が無い。
(元々勝てると思っちゃいないし、なにが何でもって訳でもないしな)
決断の早さは俺の数少ない取り柄の一つだ。
腹を括った俺は、全身全霊を持って試験官に対して構えをとった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
職員の合図で最後の受験生との試験が開始される。
試験官の男は長剣を構えてカンナと向き合った。
(…………待ちの構えか?)
開始の合図がされても、カンナは動かなかった。いつでも動き出せるように深くは構えているが、逆を言えば自分から飛びかかろうという体勢ではなかった。他の受験生は自らの実力をアピールしようと果敢に攻めてきたのに、どうやら毛並みが違うようだ。剣や槍を装備せずに、防具を得物と言い張るところも気になるところだ。
しかし、カンナはただ構えているだけではなかった。その視線は切れ味を持つかのように鋭く、試験官の挙動を一切見逃さないと目が物語っている。まだ一合も打ち合わせていないが、眼力だけで言えば中々だ。
(カウンター狙いか? ならば少々試してみるか)
奇しくも、試験官の男も似たような戦い方を好んでいた。相手の動きを観察し、先を読んで後手を選び長剣の一撃必殺を狙うのが彼の戦法だ。むしろ相手の実力を計るに長けている事を評価され、彼はよく新規登録試験の試験官として指名を受けることもよくある。今回もその依頼の一件だ。
自分と同じ戦法をとる若者か。ならばその練度に興味がある。幸いにも今回の受験者はこれで最後だ。夜にも新規登録の試験は行われるが、数時間も後の話。時間的余裕はたっぷりある。好きなだけ付き合おうではないか。
睨み合う二人。両者共に構えを保ったまま一切動かない。だが、会場内に張りつめる緊張の糸が徐々に引き絞られるのをその場にいる全員が感じ取っていた。
共に動き無く一分が経過。
試験官の長剣が僅かばかりに動く。それに伴い、カンナの拳が同じだけ動く。けれどもその構えに揺るぎを見せない。どうやらハッタリでは無さそうだ。
さらに一分が経過。
あえて隙を見せてみる。勿論、誘い用の疑似餌。カンナは僅かに躊躇するも、歯を食いしばって耐える。これを堪えるのか。なかなかに目敏い。掛かってくれば即座に釣り上げていたのに。
そしてさらに三分が経過。
まだどちらも動きを見せず。だが試験官の中ではありとあらゆる戦闘パターンを模索し、常に最前の迎撃体勢を思い描いていた。表情も表面的には冷静そのものだ。
対してカンナは、構えこそ解いていないモノの額に汗を滲ませていた。呼吸も僅かばかりだが乱れてきている。後の先を戦法に選ぶだけあって見事な構えだが、どうやら精神的にはまだ修練が足りないようだ。あと十分も待ちを続ければ自然と崩れるだろう。
一方で試験官の方は後十分でも二十分でも待つことを苦にしなかった。むしろ、この緊張感を楽しんでいた。
(さぁ、後一時間ぐらい粘ってみようか?)
心の中ではそんなことさえ考えた。
ーーーーゾクリと、背筋が震えたのは、そんな時だ。
言い様のない寒気を感じた。油断は微塵もなく、だが何処かしらに余裕を持っていた試験官の男は気を引き締めた。
(何か仕掛けるつもりか?)
カンナに動きはない。けれども、今の悪寒は見逃せない。男は一層にカンナの一挙動を逃さない様に注意力を引き上げた。
ーーーーカンナがあからさまに動く。
それまでの深い構えが唐突に崩れた。彼の中で緊張の糸が切れてしまったのか。彼は何の前振りもなく、唐突に『真横』を向いたのだ。
(なんだ?)
試験官の男は『殆どなにも考えず』に、彼の視線の先を追った。
彼が顔を向けた先は、未だに意識を取り戻さず、床に仰向けに倒れたままの貴族風の若者。おいおい、誰か助けてやれよ、と男は心の中で苦笑した。そしてそれは、この会場内にいる『すべての者の心が重なった』瞬間でもあった。
そう、この時この瞬間、たった一人の例外を除き、『すべての注意』が気絶している貴族に『集まった』のだ。
ーーーー地面を蹴る音に、我に返った。
「ーーーーしまッ!?」
夢から覚めるように我に返った次の瞬間、男の腹部に『カンナの拳』が深く突き刺さっていた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
超怖かった!
本気で辛かった!
涙が出そうだ!
俺は自分の策が成功した現実に心の底から歓喜した。特に、最後の瞬間は胃がねじ切れそうになるほどの緊張感に晒されたのだ。青○さん。あんたの精神力には俺も感服だよ。この戦法は本気で心に来るわ。
俺の取った作戦とは。
ズバリ『よそ見!』である。
や、これ以上ない説明である。
人間とは、不意に視界に入った誰かしらの視線が動くと、ついつい目で追ってしまう習性がある。詳しい理屈など知らん。俺もマンガで読んで気がついた。言われてみればそうである。
今回は、その習性を極度の緊張感の中で行ったのだ。や、本気で辛かった。
名前は一言で説明できる本作戦であるが、これを成功させる為の準備はとても一言で説明できない。
乗り越えるべき賭が三つもあった。
試験官の男性が後の先を取る戦法を好んでいるのは既に把握していた。俺より以前に試験を受けた登録希望者との立ち会いで、彼が先に手を出した事はただの一度もなかったからだ。試験だから実力を計るために後手に回っていると最初は思ったが、試験官の戦い方は至極自然に見えたからこの予想が立った。確信は無かったので、これは最初の賭だ。
俺の予想が当たり、後の先を取ろうとした彼はこちらのどっしりとした構えを見て我慢比べの手を選んだ。これが二つ目の賭。とにかく全身に気を張りつめ、常に動き出せるように身構え、カウンターを狙っているように『見せかけ』たのだ。このハッタリが露見すれば、彼は持久戦ではなく自ら果敢に剣を振りかざし、俺は為すすべもなく叩き潰されていた。試験官の小さな動きに心を乱しそうになったが、そこはアドリブで何とかカバーできた。こればかりは自分を誉めたい。
そして、最後の賭はこの作戦の肝である『よそ見』の成功。俺と試験官、その両者が生み出す緊張感がこの会場の全域を支配した所で最後の細工だ。俺は密かに精霊術を使い、会場内の温度を下げたのだ。何の為かと問われれば、試験官の体を物理的に冷やすため。動きを鈍らせるためではなく、彼にほんの小さな違和感を与えられればよかったのだ。それを第六感の寒気と誤解させたかったのだ。これによって、彼の注意は俺の動きを僅かばかりにも見逃さんと研ぎ澄まされる。
そこに『よそ見!』である。
結果として、彼を含んだ会場のすべての人間が、俺がすっころばして伸びているイケメン貴族に集まる。や、あの野郎に集まったのは意図せずの偶然だったが、重要なのは試験官の意識が俺から完全に逸れること。
こうして俺は無防備になった彼の懐に深く踏み込み、その胴に拳をたたき込むことに成功した。
ドゴンッと衝撃音と反動が同時に返ってくる。
会心の一撃だ。踏み込みから突きだした鉄拳は見事に試験官の胴体に突き刺さる。だが、その喜びは瞬きほど。衝撃に僅かに後退した試験官は、その後即座に長剣を振るったからだ。
「おわッふぁあッ!!??」
情けない悲鳴を上げながら、身を屈めて横から迫る長剣をやり過ごす。頭頂の毛先が刃を掠める。おい、今髪の毛の先が切れた感触あるんですけど。一応刃のない模擬剣の筈ですよねっ!?
本来ならこのまま畳みかける所だが、俺は慌てて試験官からバックステップで距離を取った。試験官の男性は俺を後追うことなく、長剣を構えなおした。左手こそ腹部に当てているが、右手一本で剣を構える姿は鬼気迫るモノがあった。ダメージは確かに与えただろう。けれども、それが微々たるモノであると思わせるほどの気迫が漲っていた。
あ、やばい。俺死んだか?
半ば本気でそう思ったね。だが、俺の絶望は試験官が次に口にした言葉で打ち消された。
「…………ん、見事だ」
試験官は微笑みながら頷き、男性職員の方を向いて目で合図を送る。状況の推移に呆然としていた職員だったが、試験官の視線に気がつくと、すぐさま手を挙げた。
「そこまでッ! これにて試験を終了します!」
ーーーーどうやら俺は生き残ったらしい。