Kanna no Kanna RAW novel - chapter (40)
第三十七話 知らず知らずの内に大物と知り合っていたらしい。
終了の宣言が響いた直後、試験官の男はその場に膝を突いていた。腹を抑えてゴホリと咳に近い息を吐き出した。女性職員が急いで駆けつけると、彼の腹部に手を当てる。その手が光り輝くと、小さく歪んでいた試験官の表情が和らいでいく。女性職員は治療魔術士だったのか。刃を潰しているとはいえ武器を使った試験だ。怪我の際の処置の為に待機していたのは当然か。
や、まさか試験官の方に治療術を使うとは思っていなかったのは、女性職員の表情から伺えた。一歩間違えれば、処置してもらうのは俺だったはずなのだから。
しばらくして術式の光が収まると、試験官は立ち上がった。表面上は冷静だが、新人にすら至っていない若造に一撃を貰った心中はいかほどか。
内心びくびくしている俺に、試験官の男は笑って声を掛けてきた。
「『待つ』のには多少なりとも自信はあったが、まさかあの状況で『よそ見』をさせられるとは思っても見なかったよ。私もまだまだだな」
はっはっは、と男はにこやかに俺の肩を叩いた。
「しかしなるほど。圧倒的な技量不足を胆力と策でカバーするか。今まで出会ったことのないタイプだ。いや、見事に騙されたよ」
ハッタリがばれてら。これは二度目は通用しそうにないな。や、再度この手を使うことが無いように祈る。この数分間で一日分の気力を根こそぎ使ったような疲労感がある。
「けれども、策に頼ってばかりでは『上』にはたどり着けない。それは、基本を鍛え上げた上で弄するのが最善だ。精進したまえ」
もっともな意見で。この世界にいる間は継続的な鍛錬を続けた方が良さそうだ。
今回の試験で、彼の油断の中の油断を突いた形になるが、おそらく本来の実力を発揮されれば精霊術を行使したとしても対応されてしまう予感があった。そう思わせるだけの気配が自然とにじみ出ている。
「確か…………カンナ君だったかな? うむ、君の名前は覚えておこう」
「…………や、忘れて貰っても問題ないんですが」
少しだけ『しまった』と後悔する。合格することに意識が向きすぎて、その先に頭が回っていなかった。試験等で下手に目立つと以後に妙なトラブルが付きまとうのはテンプレ展開だ。
「新規登録の試験官役は何度も引き受けているけど、まともに一撃を食らった経験は君が初めてだからな。忘れたくても忘れられないさ。それに…………」
こちらをみる試験官の瞳に深みが増した。まるでこちらの内心を見透かすような視線。
「…………いや、詮索は冒険者のルール違反か。君が無事にランクを上げられることを祈っているよ」
後に知るが、今回試験官を担当した冒険者はたかが『Bランク』に収まるような実力者ではなかった。それが発覚するのはもう少し先の話だ。
ーーーー最近このパターンが多い気がする。
試験官を一人残し、女性職員の後に続いて試験会場を他の受験者と一緒に退室する。
「さすがはカンナ氏でござるな。あれほどの実力者を相手に一撃を届かせるとは。拙者であれば幾重に攻めても手が届くイメージができなかったでござるよ」
クロエが興奮気味に賛美の向けてくるが、素直に受け取るには運に助けられすぎだ。相も変わらず、精霊術が無いとへっぽこなのは事実。や、面前で堂々と戦うのはこれで最後にしたいな。
女性職員に連れられて来たのは、会場の傍にある椅子や机の並んだ会議室のような一室だ。職員に適当に席に座るように言われ、受験生は各に着席した。
少しの時間が経過した後に試験会場にいた男性職員が現れる。
「みなさま、試験お疲れさまでした。査定が終了しましたので、今から合格者の名前を読み上げていきます。呼ばれなかった方は、残念ですが不合格とさせていただきます」
では、と男性職員が受験生の名前を呼び始める。試験を受けた人数は十五名。この数ならばすぐに終わるだろうが、合否の発表となると一分一秒が長く感じる。
合格発表の順番は試験を受けた順番と同じ様で、一番最初の少年は飛んで次の少女から名前が呼ばれ出す。両者の反応はまるで対照的で、少年の方はがっくりと肩を落とし、少女の方は飛び上がらんばかりに歓喜の声を上げている。続けて合格者名が発表されていくが、受かったものとそうでないものの反応はすべて似たり寄ったりだった。
「ーーーールキス・アーベルン。カンナ。…………以上が、今回の試験の合格者となります」
俺を含めて、合格者は八人か。ちょうど半分ほどだ。
「合格者の方はこのまま部屋で待機。不合格者は退出をお願いします。再度試験を受けるためには一ヶ月の期間が必要になりますのでご了承下さい。一ヶ月というのはみなさんが再度試験を受ける為の空白期間です。この短くない時間をどう使うのかは皆様の自由です。次回の合格を目指して鍛錬を重ねるのもよし、新規登録の申請料を稼ぐのもよしです。一つだけ言えるのは、決して後悔のない選択をお願いします」
職員が手で部屋の扉を示すと、名前を呼ばれなかった不合格者はとぼとぼと退出していった。俺? ちゃんと最後の最後に名前を呼ばれたって。
室内に残ったのは男性職員と女性職員。そして八人の若者たち。
ーーーーん? ちょっとおかしい。確かに合格者は八人だったが、クロエは現在カードの再発行を申請しているので新規登録者ではない。だったら、ここにいるべき職員以外の人間は九人のはずだ。
(…………まぁいいか)
心当たりを思い出しかけるが至極どうでもよかったので思考の片隅から切り捨てた。忘れているならそれほど重要でもないだろうしな。
「改めまして、試験お疲れさまでした。無事に試験を終えられたようで何よりです。これからギルドカードの発行手続きを行います」
職員は手に一枚のカードを取り出した。
「こちらが皆様が以後冒険者として名乗るための必要なギルドカードです。今からお配りしますので、右上の印がある部分に皆様の血を一滴垂らして下さい。終わりましたらそれらは一旦回収し、こちらで処理を行います。その間にみなさんは新規登録の申請を行った受付に移動してもらいます。そこで発行が終わり次第に名前をお呼びします。血を取るためのナイフが必要な方はいらっしゃいますか?」
誰も手を挙げなかった。実は俺もちゃんと持っている。これまでの道中で出現した魔獣を狩った時に、その魔獣の特定部位を剥ぎ取る為。麓の村で譲って貰ったのだが、以降は殆ど精霊術で作った氷のナイフで代用していたので殆ど出番がなかったが。
職員から手渡されたカードは、裏も表も真っ白の無記入だった。片面の右上に小さな丸模様があり、ここに血を垂らせばいいのか。剥ぎ取り用のナイフで人差し指を小さく刺し、血の玉ができたところでカードの模様に押しつけた。素材の影響か、模様が特殊なのか、カードに押しつけた血はたちまち吸い込まれるように色を失い、跡の残ったのは赤く変色した模様だけだ。
「終わった方は、私の方にカードを一度返却し、受付の前で待機していて下さい」
俺は言われたとおり血をしみこませたカードを職員に手渡すと、クロエと共に最初の受付へと戻った。
受付の傍まで戻った俺以外の者は、程なくして名前を呼ばれて無事にギルドカードを受け取った。ところが、どうしてか最後の名前を呼ばれてから暫くしても、いっこうに俺の名前が呼ばれる気配がなかった。
「…………どうしたでござるかな?」
クロエも首を傾げるが、彼女の方は無事にギルドカードの再発行が終わったようだ。他の新規登録者とは違う職員に呼ばれて、新たなカードを渡されていた。新規登録者のカードは、先ほど血を垂らしたものと同じ白色。一方でクロエが受け取ったカードは青色だ。これは冒険者のランクによって決められており、一番下のEランクは白のカードから始まり、ランクが上がるにつれて、緑、青、赤、金となり、最上位のSランクになると虹色のカードになるとか。
「Aランクの金のギルドカードは横目に見たことあるでござるが、流石に虹色の実物は無いでござるよ」
や、Sランクは全部で十人にも満たないレアキャラ。国の軍隊で言えば大将軍ぐらいの階級。そう簡単に会える筈もないしな。
一方で、俺はその階級の中で新兵的なEランクのカードすらまだ手にできていないのだけれど。ってか、本当に時間掛かってるな。
「もしかして忘れられているとか?」
「それはちょいと自虐が過ぎるでござるよ」
新たなる冒険者達は自分のカードを受け取り、嬉々としながら受付を離れていく一方で、ぽつねんと残される俺とクロエ。そろそろ文句を言うべきか。文句大好きお馬鹿クレーマーは俺も嫌いだが、さすがに待たせすぎだろう。ここで文句を言っても常識で許される範囲だ。
俺がそう思い、受付傍の椅子から腰を上げようとしたところで、試験会場から先の案内役をしていた女性職員がこちらに向かってくるのが見えた。
「カンナ様、大変申し訳ありません。お手数をおかけしますが、ちょっとこちらに来ていただけますか?」
「…………まさか、合格の取り消しとか」
「いえ、その点に関しては問題ありません。ですが、カードとギルドのネットワークにカンナ様の情報を登録する処理がどうしてもうまく行かないようでして」
忘れられたのではなく、本当に処理で手間取っていたのか。
「だったらしょうがないか。クロエはどうする。ギルドカードは再発行できたし、もう依頼は受けられるんだろう? 俺に付き合う必要はないぞ」
「なにを言うでござるか。ここまで来たら最後まで付き合うでござるよ。元々、今日はカードの再発行だけで終わらせて依頼は明日からこなすつもりでござったからな」
「ではお二人とも、ご案内しますね」
この人に案内されるのは今日二度目だな、と至極どうでもいい事を考えながら訪れたのは、先ほど訪れた会議室の半分程度の広さをもった部屋。
室内には先に一人の人間がいた。
皺をたっぷりと蓄えた婆さんだ。や、婆さんなのだけれど、昔は半端ではない美人だったのだろう、と確信させられる風貌だ。年老いているのは一目瞭然なのに、背筋は真っ直ぐに伸びており、目に篭る光も強い。そして何よりも目を引くのは、頭部の耳の付け根に近い位置から伸びている、二本の角。
竜人族の身体的特徴の一つだ
この世界に来てから竜人族に出会ったのは初めてだ。だが、この場所ーーあるいはこの国にこの種族が居るのは至極自然だ。この国を訪れてから目の当たりにしてなかったのが逆に不自然なほど。
このドラクニルを都とするディアガル帝国は、竜人族の王が統治する国家なのだ。
「リーディアル様。お連れしました」
「ああ、ご苦労さん。手間をかけたね」
「いえ、職務ですから」
竜人族の婆さんが労いの声を掛けると、女性職員は恭しく礼を取った。どうやら婆さんは職員さんよりも上の立場らしい。しかし様付けか。婆さんの雰囲気からして若い頃は『女王様!』とか呼ばれてたりしそうだ。
「あんた、いま妙なことを考えてなかったかい?」
と、唐突に婆さんは口にした。
「まぁ、考えてたな」
「…………その反応は斬新さね」
婆さんはただの婆さんではなく、経験豊富な年期の入った婆さんのようだ。どこぞの美女婆とは違うな。あれは年期重ねすぎて一周しちまったのか。
婆さんは苦笑を一つこぼすと話を始めた。
「まずこちらの不手際を謝っておこうかい。本来であるならばすぐにでもギルドカードを渡してやりたいところだが、処理にちょいと失敗しちまってね。悪いけど別の方法であんたの情報を登録する事になったんだ」
「それが、その水晶か?」
いかにもな風に部屋中央にはテーブルがおかれ、その上に無色透明の水晶が置かれていた。似非占い師がよく使っていそうなアレを想像してもらえれば分かりやすいか。
「察しが良いね。これは魔術士系の新規登録者の魔力を計るための魔術具さ。あんたが受けた試験には魔術士系が居なかったから出番はなかったがね」
「そう言えば、魔術士っぽい奴が居なかったな」
俺と一緒に試験を受けた全員がなにかしらの近接武器を持っていた。むしろ防具を『得物』と称して扱ったのは俺だけだ。
「魔術士系の冒険者は既存数も新規数も戦士系に比べて少ないからね。毎日行われている新規登録試験とは違い、魔術士系の新規登録試験は週に二度行われているんだよ。希望を出せば魔術士でない冒険者もこの水晶を利用することはできるがね」
「では、拙者も使えるでござるか?」
興味津々といった風にクロエ。耳もピコピコしている。やばい、モフリたい。
「そっちの黒狼ッ子は付き添いか。勿論かまわないよ。その水晶に手を置きな。それだけで十分だ」
「では、失礼して」
ふんす、と妙な気合いを入れてクロエがテーブルの上に鎮座する水晶に手を置いた。すると、透明だった水晶の中に『バチリ』と紫色の電気のような光が走る。
「ふむ、中の下といったところかい。適性が『雷』と来るか。先天でこいつを持っているのは珍しいね」
感心する風に竜人の婆さんが顎に手を当てる一方、クロエはがっくりと肩を落としていた。
「…………分かっていたでござる。分かっていたのでござるが」
『中の下』との評価に気を落としているのか。
気落ちしているクロエに婆さんは困ったように頬を掻いてから言った。
「とまぁ、こんな風に水晶に触れた者の適性属性と魔力量を視覚で判断できるのさ。さらにこいつには直前に計った者の魔力波動を一時的に蓄積してくれる特性を持っている。そいつを使って、ギルドのネットワークに今回の新規登録者であるあんたの情報を読みとるって寸法だ」
この世界の文明レベルは現実世界に比べて遙かに低いのに、時たま現実世界を越えるような技術があるな。魔術ありきの技術だが、時折にバランスの悪さを覚える。
今更ながらの質問だが。
「なぁ、魔力波動って何なんだ?」
「おや、知らないのかい? 魔術士にとっては半ば常識だけどねぇ。ま、戦士系の冒険者でも知らないのは結構居るから。いいさ、簡単に教えておこうかい」
そこから続いた婆さんの説明を俺なりにかみ砕いて説明しておこう。つまり、魔力波動とは、人間の指紋の魔力版だ。人それぞれによって、魔力は様々な特徴を持っており、誰一人として同じ者はいないとか。その魔力波動をカードとギルドの情報網に登録しておくことによって、ギルドはカードと所持者である冒険者を管理しているのだ。
「魔力波動を計測する方法は二つ。この水晶に蓄積された情報を読みとるのと、あんたが試験を行った後にやったような、特殊な素材に血を染み込ませる方法さ」
「なんで普段からこの水晶を使わないんだ?」
「第一に手間が掛かる。水晶で蓄積できるのは直前の計測者だけ。計測の度に記録を残すから大人数はできないのさ。二つ目、戦士系は大量の魔力を持っていても術式を扱わずに使う術を選ぶから属性を知る必要はないのさ。近接を主体に行う魔術士はこっちの水晶で登録することが多いけどね」
今なんか聞いたことのない新事実が発覚したぞ。術式を扱わずに魔力を扱うってどういう意味だろうか。ただ、この場で口にするのはちょっと不味いか。口振りからすると、特別な技術ではなく一般常識っぽいしな。
…………あやっべ。
この時点で、比較的重大な我が身の特徴をすっかり忘れていた。というよりは自然に受け入れすぎて殆ど気に留めていなかった。や、精霊術のお陰で『それ』の必然性を全く感じていなかったからな。
「前置きはここまでにしておいて、いよいよあんたの魔力を計ろうかい。…………ってどうしたんだね。急に神妙な顔になって」
「や、結構大事なことを今の今まですっかり忘れてたんで」
伝えるかどうかを小さく迷うが、この状況ではぐらかしてもすでに遅いか。自身の事情を忘れていたし、時折職員が口にしていた『魔力波動』という単語に先の展開を察しなかった俺の失敗だ。素直に告白するのが無難だ。
「現段階で割と手間をかけて非常に心苦しいんですが、今の説明を聞いてちょいと問題が…………」
「なにさね? まさかあんたも先天的な上位属性持ちだから、それを秘密にしておきたいとか? 安心をし。ギルドの名誉と誇りに誓って、冒険者の個人情報は漏らさないよ。たとえ皇帝一派の権力があろうともね」
「や、もっと根本的なお話」
口で言うよりも実際に見て貰った方が早いだろうな。幸いにも、それを証明するための道具が目の前にあるのだから。
俺は小さく指を閉じ開きしてから、手の平を魔術具の水晶に置いた。
……………………………………………………。
「…………うんともすんともしないでござるな」
「…………いったいなにが問題なんでしょうか?」
クロエも職員たちも、そろって首を傾げた。
や、おそらく余りに変化が乏しいので逆にその不自然さに気がついていないのか。俺の思っていた通り、手の平が水晶にぺたりと触れているのに、水晶の中身は一切の変化を見せずに無色透明を保ったままだ。
唯一、顔色を劇的に変えたのは竜人の婆さんだ。
「なるほどね。確かにこりゃ問題『アリ』だ。あんたの言うとおりに根っこからの、ね」
「…………どう言うことですか、リーディアル様?」
「そうさね…………。試しにアンタも水晶に手を当ててみな」
「はぁ…………」
いまいち事情が飲み込めない女性職員は、言われるままに水晶に手を当てた。すると、クロエの時とは違い、水色の液体のようなものが水晶の中で蠢いた。変化の具合も先よりは大きい。
「属性は水。魔力量は中の上と言ったところかい」
「以前に計ったときと特に変化はありませんが」
「では聞こうかい。この小僧の計測結果はなんだったい?」
「それは……………………………………………………?」
即座に答えようとした職員だったが、言葉は意図せずに途切れる。
それはそうだろう。なぜなら計測するために必要な変化が、俺の時には一切生じなかったのだから。
皆様はご存じだろう。
俺の魔力がーーーー『零』である根本的事実を。
「そうさ。こいつの魔力は、信じ難い事に完全なる『零』なのさ。私も決して短くない人生で結構な数の人間と出会ってきたけど、まさか魔力を一切持たない奴ってのは初めてさね。こいつぁ驚いたよ」
「…………ん? 確かカンナ氏は氷の魔術をーーーー」と、こちらの事情を全く知らなかったクロエが口走りそうになるのを、尻尾をむんずと掴んで阻止する。「わッふぅぅぅっっ!?」と悲鳴が上がるよりもさらに大きな職員さんの声が上書きする。
「魔力を持たない? そんな馬鹿なッ。人間は生きている以上、多少なりともの魔力を持っているはずです! 現に、今までこの水晶で計ってきた人間の誰もが、どれほどの微細な魔力であっても計測できていました!」
「けど、現実にここに一人、魔力を持たない若造がいる。長生きってのはするもんだねぇ」
婆さんは、クロエの時よりも一層に珍獣を見るような視線をこちらに向けてくる。俺からすると頭から角生やした人間の方が余ほどに珍獣だが。
「また失礼なこと考えてるねあんた」
「まぁ、正しいな」
「良い性格してるねアンタ」
「よく言われる」
「…………本当に良い性格してるよ」
もう一つ嘆息をいただきました。
「アンタが世にも珍しい『魔力無し』なのはこの際置いておくかい」
「リーディアル様ッ!? これは『置いておいて』よい問題ではないと思うのですがッ!?」
「落ち着きな。世の中には万を越える人間がいるんだ。一人ぐらい魔力を持っていない輩がいても不思議じゃないだろ」
懐の深い珍獣婆さんである。や、この世界では珍しくは無いんだろうが。あ、でも百五十年前ぐらいまでは竜人族は架空の存在扱いだったからそれほど的外れでもないか。
「本当に失礼な小僧だね」
だからなんで考えてること分かるんだ?
「年の功だ。ともかく、問題なのは魔力が無いことじゃなくて、そのせいで魔力波動が計測できない事さ」
「具体的にどんな弊害がでるんですか?」
「そうさな。アンタがこの先ずっと同じカードを持ち続けていられるのならば問題はない。ただ万が一そいつを紛失しちまうと、話は別だ」
婆さんは懐から一枚の白いギルドカードを取り出した。
「ギルドカードにはそいつの実績を記録として蓄積して置いてくれるが、その情報は同時にギルドの方にも予備として保管される。何かと荒事が多い職業だからね。カードの紛失は誰にでもあり得る。で、カードの再発行に必要なってくるのが魔力波動の『型』だ。こいつをギルドに控えてある情報と照らし合わせることによって、以前の物と寸分違わない物を複製することができるって寸法だ」
「もしかして、限られた支部でしか再発行を行えないのは、カードの素材の他にそれが理由でござるのか?」
クロエの疑問に婆さんは肯定した。
「こいつの処理にはギルドが保有する特殊な魔術具が必要だ。ほれ、ギルドの規定に、三年に一度は決められた支部でカードを提出するのを義務づけられてるだろ?」
「そういえばそんな話も聞いてた気がするでござるな。今までヒノイズルとユルフィリアの首都でばかり依頼を受けていたでござるから、すっかり忘れていたでござる」
「情報の上書き、引き出しをできる魔術具の数は限られてる。だから、比較的大きな支部に優先的に回されてるのさ。だから、もしその魔術具がないギルドで実績を重ね続けて、いざカードを紛失しちまうとそれまでの実績がすべてパァになっちまう」
魔術式の限定的なネットワーク、と言えば分かりやすいな。全く持って、妙なところで現実世界に似ているなこの世界の技術は。
「話がちょいと長くなったね。なにが言いたいかというと」
「万が一にカードを紛失しちまったら、どんな状況であれそれまでの実績がすべて消滅する危険性がある…………って事ですか?」
「そういうことさ。さて困ったねぇ」
竜人の婆さんは考え込むように黙り込んだ。
俺としては、別に冒険者として成り上がるつもりは無いし、金にそこまでの執着はない。そこそこに路銀が稼げてそこそこに貯蓄ができれば良いのだ。もし大金が必要になったら、レアルと山分けした金品を質屋にでも入れてしまえば問題ない。聞いた感じでは、人間一人が安い宿屋で生活する分にならEランクの依頼をそれなりにこなせば良いらしい。もしカードを無くしたのなら、また最初から試験を受けてFランクの初っぱなから再スタートすればいいのだ。
その事を伝えようとしたところで、婆さんがそれよりも先に顔を上げた。人差し指を一つ立てて。
「万事が問題ない、という解答ではないが手は思いついたね。この方法ならカードの紛失で即実績抹消、という事態には陥らないだろう」
婆さんは既に持っていた白いカードとは別の、同色のカードを取り出した。
「今回に限り、アンタのカードを二枚発行しよう。そして、この二つのカードとギルドの方に登録する魔力波動は、あんた以外の別の人間の物を登録する。そうすりゃ片方を紛失したとしても、もう片一方のカードさえ残っていれば再発行するための魔力波動は検索できる。もちろん、その旨はカードの備考に記載しておく。これならどの支部に行っても情報の蓄積とカードの再発行は可能の筈だ」
なるほど、と納得し掛けるが、すぐに疑問がでた。
「仮にそれが可能だとしても、誰の魔力波動を登録するんだ? そいつが冒険者だったりしたら、情報が混ざって混乱するんじゃ」
「そいつも既に考えてある。安心をし。登録するのは今後絶対に冒険者に登録することはない者の魔力波動だ」
そう言ってニヤリと笑う婆さんの顔は、どうしてか氷の大精霊様が浮かべていた茶目っ気のありすぎるそれと重なって見えた。
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新規登録者の少年とその付き添いである黒狼の女性を一端下がらせると、その場に残ったのは竜人族の老婆と女性職員の二人っきりになった。
「…………それでリーディアル様。いったい誰の魔力波動を登録なさるおつもりですか? まさか冒険者でない一般人を?」
「そうなると、そいつが仮に冒険者になろうとしたときに問題がでるさね。絶対条件として、あの小僧に言ったとおり、冒険者として活動しない輩が必要だ。そして、その人間には一つ心当たりがある」
と、老婆は魔術具の水晶に手を置いた。すると、泥水のような茶色の濁りが水晶に溢れた。透明な部分が完全に埋まり、最初からその色一色だったかのような変化だ。
職員は老婆の言わんとするところを察し愕然とした。
「ま、さか…………リーディアル様の魔力波動を登録なさるおつもりですか! それは無理ですよ! あなたの魔力波動は既にギルドの情報網に登録されてますよ!」
「んなもん、私の権限で抹消すりゃぁ問題ないだろう」
「抹消って…………これまでの実績を全て捨て去るつもりですか!」
「私は過去の栄光ってのにとんと興味が無くてね。かといって今更現役に戻るつもりもない。これ以上の適役は無いさね」
「たかが一人の新人のためにそこまでする事もないでしょう!」
悲鳴を上げる職員に対し、白髪の少年が去っていた扉を眺めながら、老婆が言う。
「あの小僧は曲がりなりにも『
後より答えを出す者
』の異名を持つ男に一撃を食らわせた。これがたかが、の一言で済ませられるとは私は思わないがね。あんたもその現場はしっかり見てたんだろ?」
「そ、それはそうなのですが…………」
彼女が担当していた受験者の中で唯一、『彼』に一撃を与えた少年。直前に受けた貴族の若者も優秀だったが、それをさしおいて一番の有望株と言えた。
「しかも、よりによってそれが世にも珍しい魔力零の若造ときたもんだ。こいつは愉快じゃないか」
「…………人を珍獣みたいに言わないでください」
「それはあの小僧に言ってやりな」
目上の者に対して、敬いつつも必要以上に畏まらない姿勢も、老婆にとっては気に入る要因の一つだ。
「どいつもこいつも、過去の栄光を背後に見てるせいかどうにも話してて楽しくない。あの小僧とは一度、別の機会に茶を楽しみたいねぇ」
「…………彼はこの支部を訪れたのは初めてでしたし、あなたの顔も功績も全く知らなかったのでしょう。そうでなければ、あんな態度は取れませんよ」
「そうか? 案外変わらないかもね」
「あるわけ無いじゃないですか。リーディアル様がなにをどう言ったところで、あなたが『元Sランク』であり、当支部の『ギルドマスター』である事実には変わりないのですから」
職員の述べた自らの肩書きを耳に、老婆ーーリーディアルは苦笑した。
「やれやれ、頭が固いねぇ。だったら賭けようじゃないか。あの小僧が私の立場を聞いて、対応を変えたらアンタに金貨一枚。逆だったら私に一枚。どうだい?」
「賭けませんから」
「つまんないねぇ」
こんな会話が交わされているとは露も知らぬカンナであったとさ。