Kanna no Kanna RAW novel - chapter (48)
第四十五話 坊ちゃんの名前がほとんど呼ばれていない
カンナと坊ちゃん貴族が決闘紛いの騒ぎを起こした日の夜。
「とりあえず、これでこの問題は解決かね?」
執務机で作業を終えた竜人の老婆ーーリーディアルはため息を吐き出しながら椅子に深く背を預けた。
「お疲れさまです、リーディアル様」
「じゃ、これは明日にアーベルン公爵家宛に送ってくれ」
「畏まりました」
執務机の側に控えていた一人の職員に今し方書き終えた紙を封筒に入れると、凝った細工がなされた蝋で栓をして手渡す。内容は、本日に公爵家次男が起こした問題とその決着の仕方その他諸々。ギルド内が治外法権であり、一応の結実は迎えたが、相手は貴族でしかも公爵家だ。最低限の報告は必要である。
次男である坊ちゃんは問題の多そうなどら息子ではあったが、親であるアーベルン公爵家当主は誠実な人柄だ。その跡取りである長男も父の背中を見てまっすぐに育っていると、親子双方に面識のあるリーディアルは判断している。手紙に書いた内容を読めばなにが起こったのかを十分に理解し、波を立てずに事情を懐にしまってくれるだろう。
手紙を受け取った職員が部屋を出て行くのと入れ違いに、部屋には女性職員が訪れた。何かとカンナと顔を合わせているあの女性だ。彼女は窓口職員ではあるが優秀な治療術士であり、その内実はギルドマスターであるリーディアの腹心だ。ギルドの内外における様々な事柄をリーディアルに届ける役割を持っている。一般業務が終わるとリーディアルの秘書のような役割になるのが一日の流れだ。
「リーディアル様、来客の方がいらっしゃいました」
「こんな真夜中にかい? 明日にしな。…………てぇ言いたいところだが、その程度の判断が出来ないあんたでもないか。訳ありかい?」
「ある意味では、ですね。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「いいさ。許可するよ」
リーディアルの言葉を受け取った職員が、扉を開けてそこに声を掛けた。どうやら既に扉の前まで来ていたらしい。
深夜の来訪者は、リーディアルにとって覚えのある顔だった。
「…………お久しぶりです、師匠」
「ほぅッ、こりゃ珍しい客だね!」
美しい銀の髪と美貌を持ち、身の丈に迫るほどの巨大な剣を背負った人物ーーレアルが扉の奥から姿を現したのだ。
驚いたリーディアルは思わず椅子から立ち上がると、部屋に入ってきたレアルに歩み寄った。
「やぁ驚いたよ! 三ヶ月前の任務に着いたっきりに行方不明になったってぇ聞いてたから。まぁアンタのことだから死んでは無いだろうと思っていたがね!」
「詳しい事情は機密の問題で説明できませんが、どうやら私は運に見放されていなかったようです」
「その言いようだと、なかなかに面倒くさい事に巻き込まれたようだね。や、無事で何よりだよ」
竜人の老婆は嬉しそうに銀髪の美女を抱きしめた。レアルは少し戸惑いを見せたが、すぐに笑みを漏らすとリーディアルを抱きしめ返した。
しばらくそうし、どちらかとも無く包容を解くと、リーディアルは部屋のソファーに腰を下ろした。彼女に促されてレアルも対面に座る。
「詳しい事情が話せないって事は、割と深刻な面倒事に巻き込まれたってのかい?」
「現時点ではお話しできません。出来ることなら、このまま事情を話すような事態にならないことを願っていますが」
「そりゃぁ…………よっぽどだねぇ」
リーディアルは女性職員に茶の用意を頼むと、職員はすぐさま部屋を出ていった。
「…………んで、あたしのところにこんな真夜中に顔を出したのは何でだい? 昔にこそ師弟の契りは結んだが、今はお互いにそれなりの立場だ。無事を知らせに来てくれたのは嬉しいがね」
「察しが早くて助かります。今日はギルドの力をお借りしたくて参りました」
「そいつは『依頼』ってぇ事かい?」
「これは私が三ヶ月間も行方を眩ましていた理由にも関係することでもあります」
「…………アンタも一時期は『冒険者』として活動してたから知ってるだろう。ギルドは基本的に『治外法権』。国のイザコザには関与しない方針だってのは」
「ですから、私が『個人的』に『あなた』に仕事を依頼するのです」
レアルの口にした建前に、老婆の目が鋭さを帯びた。
「嫌になるねぇ。宮仕えの奴と私的な繋がりってぇのを持っちまうのは。…………ま、いいさ。それを承知でアンタを弟子にしたんだし、アンタだってこっちの立場を十分に理解しているはずだ。アタシに直々に依頼を出すってぇ事はよっぽどの重要案件なんだろうよ」
「申し訳ありません」
「謝罪は結構。さっさと依頼内容を説明しな」
レアルは懐から折り畳まれた紙を取り出し、テーブルの上に置いた。
「依頼の内容は『情報収集』です。出来れば師匠が信頼できる口の堅い者にお願いしたい。詳細の内容はこちらの方に紙に記載してあります。返事はこの場でなくとも結構ですが、なるべく早い内にお願いします」
「了解した。依頼を受ける奴が決まったらアンタ宛に手紙を出すよ。依頼の承諾を強制するのはギルドの方針に反するからね。その可能性は頭の中に入れておきな」
「検討していただけるだけでもありがたい。その事に関しては『上』の方も重々に承知していますので」
話が一つの段落を向かえたタイミングで、職員がお茶を持って運んできた。昼間の時といい、見事な頃合いだった。この絶妙な間の取り具合がリーディアルがこの女性職員を重宝する理由の一つである。
お茶を飲むと、それまでの緊張感は和らぎ、世間話のような空気に変じた。
「そういえばリーディアル様、先ほど誰か宛に手紙を出していたようですが?」
「なんだい、気になるのかい?」
「いえ、ただ師匠の封蝋が目に付いたので」
「ま、別に今回のアンタの話と違って隠すほどではないし、お茶請け代わりに話してやるよ」
リーディアルは昼間に起こった騒ぎと、そこから発端した『決闘』の一通りの経緯を説明した。レアルが目にした手紙はその起承転結を公爵家に伝えるためのものだと。
「アーベルン公爵家の次男ですか…………」
「当主と長男には会ったことあるが、あの坊ちゃんと面識はほとんど無かったがね。有名なのかい?」
「当主も長男も優秀なお方と聞いていますが、次男はその背中を見て育ったが故に、性根がヒネクレてしまったと聞きます」
「酷い言いようだね。見た感じは同感だが」
色々な方面から最悪の印象を受けている坊ちゃんである。
「確か噂では、一族の領地経営を任せるにも問題がありすぎて、小遣いを適度に与えて半ば放置されていたと聞きます」
「だから冒険者になって名を上げようとしてたのか」
本人は『Cランク』の実力を有していると自称していた。決闘の一部始終を見る限り、そこに嘘偽りはなかったが精神面が未熟すぎる。
「ま、あの様子じゃ分不相応の依頼を受けて野垂れ死にだ」
「身も蓋もないですね」
「ありゃ早死にする典型例だね。今回の敗北は良い薬だったかもねぇ」
小さく呆れたレアルだったが、一つの疑問が浮かびあがった。
「けれど、その次男が言い出した決闘云々は、師匠の裁量で退けても問題が無かったのでは?」
リーディアルは今回の騒ぎの落とし所として、次男が言い出した『決闘』の宣言を承諾した。これによって公爵家からの余計な手出しを防ぐ意味でだ。だが、レアルの言い分が正しければ、坊ちゃんが起こしたトラブルの尻拭いをしてやるほどに公爵家の当主も長男も次男には甘くはないように聞こえた。
「他ならぬ師匠の鶴の一声があれば、たかが次男の癇癪から起こった決闘騒ぎなど、黙殺しても波風は立たなかったでしょう」
「そりゃアタシも考えたさ。多分、アタシが公爵家に口添えしなくても、親元に泣きついた時点であの坊ちゃんには雷が落っこちてただろうね」
くかかと笑う老婆は、悪戯を楽しむ子供のようだ。
「ならば何故、そうしなかったのですか?」
「いやなに。あの坊ちゃんが決闘を挑んだ奴がね、この前同じ登録試験で合格した小僧なんだが、なかなかに面白そうな若造だったんだよ。おまえさん、『アンサラ』の奴は知ってるね?」
「知っているもなにも、ドラクニルを拠点にし、『
後より答えを出す者
』の異名を持つ凄腕の『Aランク』冒険者じゃないですか」
この帝都でもっとも有名な冒険者の一人。その名は同業の冒険者にのみならず、一般市民にまで深く届いている。
「あいつは手加減が上手いからね。よく新規登録者の実技試験の監督を任せてるんだが、その小僧はなんとあのアンサラに一撃を入れたのさ。いかに手加減をしているとはいえ、現役のAランクにだ」
『
後より答えを出す者
』の二つ名は、あえて後手に甘んじながらも卓越した判断能力と技量により、最善のカウンター攻撃を相手に見舞う事から付いた名だ。こと防御と回避に関しては同ギルドに並ぶ者はいないほど。
手合わせの経験は無いが、その武勇はレアルも聞き及んでいる。
「将来有望な若者に興味が湧いたと?」
「それが切っ掛けなのは間違いないが、あたしの関心を引いたのはその先。ギルドカードに魔力波動を登録しようとしたんだがね。なんと、あの小僧は魔力を持っていなかったのさ」
「それは、極端に低かったという意味ですか?」
「いんや。比喩じゃなくてだ。魔力測定用の水晶を使ったがね、混じりっけ無しに完全な『零』だったのさ。あんな小僧は初めてだね。こんな珍しい点が二つもあれば興味が湧かない方がおかしいさね」
タイミングが良いことに、坊ちゃんが決闘騒ぎを起こしてくれた。リーディアルはその魔力『零』の少年の実力を計るため、坊ちゃんはテイの良い当て馬にされたのだ。
「中々に我流が過ぎていたが、あれはあれで実に手慣れている印象があったね。良くも悪くも勝つためには何でも利用する姿勢は、真っ当な指導者の元じゃぁ身につかなかったろうに。身体能力は並の冒険者よりもむしろ低そうだったが、頭の回転の速さには目を見張ったねぇ」
「師匠にしては随分と誉めますね、その新人を」
「人間的にも愉快な小僧でね」
師がここまで賞賛を贈るのだから、よほどに優秀な人材なのだろう。
(……………………ん? 魔力が…………『零』?)
そういえば、つい最近まで同じような体質の少年と共に行動していたではないか。そういえば彼は別れた後は冒険者ギルドに登録しに行くと言っていたな。
「にしても、改めて総合すると際だってた小僧だね。白い髪に赤い目。試験の時は防具だけのほぼ素手だと思いきや、決闘の時には氷を操る魔術具を持参してきたり。決闘の最中だってのに罵詈雑言を吐きまくって、最後の最後には迷わず武器を投げつけたりとね」
ーーーー随分と覚えのあるキーワードばかりだ。
「そういえば、名前はカンナっていってたかね?」
ーーーー間違いなく、あのカンナだ!
「…………なにをやっているのだあの馬鹿は」
思わず頭を抱えて言葉が漏れた。それまでは愉快な話とばかりに聞いていたが、その当事者が知り合いと発覚した瞬間に頭痛がしてくる気分に変じた。
「お? あんた、もしかしてあの小僧と知り合いかい?」
「ええ、一応は知った間柄です」
別に隠すほどでもないので、レアルは素直に認めた。
「ほぉう…………アンタに男の知り合いねぇ」
どうしてか、リーディアルはニヤリと、見る者を不安にさせる絶妙な笑みを浮かべた。彼女の人となりをよく知るレアルは、殊更に大きな不安を覚えさせられる。
「あ、いや。別に特別な因縁があるわけではないのですが」
「けど、ただの知り合いってぇ訳じゃないんだろ?」
「知り合いというか、友人というか…………」
「ほぉぉおう。友人…………友人かぁ…………友人ねぇ…………」
「あの、…………師匠?」
『友人』の部分にいやに含みを持たせた言い方に、レアルは更に更に不安を掻き立てられる。
「いんや、コッチの話だ、気にするな。そういえば、あの小僧の側には黒狼族の娘がいたが、あいつも知り合いかい?」
「その者が『クロエ』という名前ならば、カンナほどではありませんが知り合いです」
「チッ、反応が普通だね」とリーディアルは小さく呟いたが、レアルは聞き逃していた。が、続けて「や、これはちょいとイジれば面白いことに」とも呟くが、これもやっぱり聞き逃す。
ふと気が付けば、夜も随分と遅くなってきた。
「随分と長い話が過ぎたね、今日はこのぐらいにしておこうか」
「そうですね。夜分遅くに失礼しました」
「なぁに、久しぶりに話せて楽しかったよ。今度は完全に仕事の話を抜きにして茶でもしたいね。今度はあの小僧も交えて」
「それは遠慮しておきたいところですが」
師匠もカンナも悪ノリする悪癖があるので、その渦中に身を委ねたいとは思わなかった。
「そうだ、アンタにこいつを渡しておこうか」
レアルが部屋を出る直前に呼び止めると、リーディアルは執務机の上にあった紙にメモを書き記すとレアルに渡した。
「あの小僧の滞在してる宿の住所だ」
「これは…………ありがとうございます。実は後日に顔を合わせる予定だったのですが、連絡を取る手段を決めておくのを忘れていまして。助かりました。明日にでも一度顔を出しておこうと思います」
「そうかいそうかい。じゃ、気をつけて帰りなよ」
「ええ。では失礼します」
レアルは礼儀正しく言葉を残し、部屋を後にしていった。
その背中を見送ったリーディアルは。
「…………男日照りの弟子に春がきたか。こりゃ目が離せないねぇ」
ふぇっふぇっふぇ、とまさに陰謀を巡らせる魔女のごとき不気味な笑みを漏らす。 その様子を傍目から見ていた女性職員が、深い深い溜息を吐いたとか。