Kanna no Kanna RAW novel - chapter (61)
第五十六話 りあくてぃぶあいすふぃーるど
誰かが接近していることは気が付いていた。良からぬ雰囲気を出していることも。だが距離があり、かつ魔術にのみ注意を払っていたせいで対応が遅れてしまった。この世界に来てから出会った遠距離攻撃は、もっぱらに魔術が中心だったことが油断の原因。遠距離攻撃の手段が魔術だけと頭から思いこんでいたのだ。
完全な物理的手段で放たれた攻撃は、当然だが魔力を含んでいない。それがたとえ弓矢であれ、火薬で発射された弾丸であれ、過程に魔術的要素を含んでいないのならば、魔力は宿っていないのだから。
俺を『銃』で撃った本人ーーあの貴族の坊ちゃんは、絶叫を上げその場にぺたんと尻餅をついてから呆然としてた。俺が銃で撃たれて死んだと思っていたのに、何事もなかったように起きあがったからだろう。
少し歪んだ鉄の胸当てを体から引き剥がすと、焦げ目の付いた小さな穴が出来ていた。天にかざすと穴から日光の光が漏れている。見事に貫通しているな。
さて、鉄の鎧すら貫通する弾丸を食らってなおぴんぴんしている俺ではあるが、ちゃんと理由はある。
右手を己の胸元にやると、まだ少し熱を持った弾丸が体を薄く覆っている氷にめり込んでいた。
精霊術で生み出した氷にイメージを注ぎ込むと、氷は変幻自在に形状を変化させるが、何もそれは『即時』に限った話ではない。明確なイメージを注ぎ込めば『時間差』『遠隔操作』『条件発動』など様々な付加効果を与えられるのだ。
その事実に気が付いたのは、クロエの『新魔術』の習得訓練に付き合っていた時。彼女が『新魔術』を操っている時、精霊術でも似たような事ができるのでは?と考えたからだ。結果、思いついた方向とは異なったが、『発動条件の付加』という新たな技術を得るに至ったのである。
そして、Dランクに昇格した後の数日を使い、出来上がったのがこの精霊式防御術『反応氷結界』だ。
現実世界で開発されている『反応装甲』と言うものがある。飛来してきた敵の砲撃を、着弾の瞬間に装甲に備え付けていた爆薬を起爆し、衝撃を逃がすというトンデモ浪漫防御機構だ。
この『敵の攻撃に反応する』という仕組みを参考に、俺の体に致死性の攻撃が加えられると、その瞬間に発動し攻撃が体に届く前に身を守る『氷の膜』を生み出す精霊術だ。効果のほどは鎧を貫通した弾丸を、肉体に届く前に防いだ事で証明された。
反応氷結界の最大の特徴は、俺の意志に関係なく『致死性の攻撃』と判断された場合に発動する点。このイメージを明確にするのには誰かの協力が不可欠だった。何をしてもらったかというと、クロエに俺を『攻撃』してもらい、致命的な攻撃力とは如何ほどかと試行錯誤を重ねたのだ。や、致命的とは言うが、本当に殺す気で攻撃されると俺の体が持たなかったし、クロエもそれは拒否していた。だから『戦闘の続行に支障が出るレベル』の攻撃力を計り、それ以上の攻撃を発動条件に設定したのだ。
割と万能的な防御手段の様に聞こえるが、欠点もある。
まず、この反応氷結界は『使い捨て』だ。実際の反応装甲も敵の攻撃を防いで爆発してしまえば、その部分の爆薬は消費され、装備し直すまで使用不可能になる。俺の場合、爆薬の代わりに『イメージ』を注ぎ込んだ氷を使うのだが、一度発動するとその氷の結晶が砕け散ってしまう。さらに、結界の起点となる氷結晶の感知範囲が非常に狭い。結晶一個がカバーできる範囲が指先から肘あたりまで。なので体の各部にイメージを込めた結晶を仕込んでいるのだが、今の攻撃のせいで胸部に仕込んでいた氷が砕けて使用不可になってしまった。新たな氷結晶を作るまで胸部の防御力は素に戻ってしまう。
大きな欠点をもう一つ上げれば、イメージを注ぎ込むのに多少なりとも時間が掛かること。一日に一個…………とまでは掛からないが、落ち着いた場所と時間が必要になる。とてもではないが、戦闘中に動き回りながら作れるような簡単な代物ではないのだ。つまり、同じ部位を致死的攻撃で狙われると防ぎようが無い。
他にも、直接操作しているのではないので、最大どれほどの攻撃を防げるのか。経過劣化はあるのか。誤作動は起こらないかなどの様々な問題点はあるが、これは後々に解決していくしかないだろう。ただ、これらの欠点を加味しても、即死級の攻撃を一度でも自動で防いでくれる反応氷結界の恩恵は得難い。
さて、長々とした説明はそろそろ脇に置いておこうか。
俺は穴の空いた胸当てを装備し直し、未だショックから立ち直れない坊ちゃんへと近寄った。
茫然自失とした坊ちゃんの胸ぐらを両手で掴み持ち上げると。
「ふんぬッ!」
「がッ!?」
顔面に向けて頭突きをかました。顔の正中に衝撃を与えられ、鼻血を吹き出しながらも坊ちゃんの目に意識の光が戻った。それを確認すると、俺は坊ちゃんの体を解放し、彼はまたも地面に尻餅をついた。先ほどと違い、鼻の痛みを手で押さえながら、こちらを睨みつけてくる。会話ができるくらいには気を持ち直したか。
「感謝しろよ。命を狙われた代償を頭突きの一つで終わらせてやったんだからな」
「なっ、きさッーーーー」
坊ちゃんが激情しそうになるが、即座に生み出した氷の槍を鼻先に突きつけられ、言葉を飲み込んだ。
「勘違いするなよ。おまえさんの立場がどうあれ、譲歩しているのは紛れもなく俺だ。あいにくと、殺されかけたのを笑って済ませられるほどに、できた人間でもないしお人好しでもない」
反応氷結界の結晶を鎧の中に仕込んでいなければ、俺は死んでいたかそうでなくとも重傷を負っていたのだ。頭突きの一発でもお釣りが大量に出てくる。
氷の穂先の切っ先を目に、坊ちゃんが「ひッ」と情けなく悲鳴を上げた。
「っと、それよりも卵は無事か?」
銃弾は防げたがその衝撃の全ては吸収できず、倒れた拍子に卵を納めたケースを入れた狩猟袋を放り出してしまった。あわてて離れた場所に落ちていた狩猟袋の中身を確認し、卵入りケースを取り出す。幸いにもケース内の卵は罅一つ無く全てが無事だった。
卵を無駄にせずに済んだことにほっとして坊ちゃんの方を見ると、なんと彼は嗚咽混じりに目から涙をこぼしていた。
え、頭突きがそんなに痛かったのか? や、痛かったのに違いは無いだろうが、泣くほどか。でもさっきはこちらを睨みつけてきたし。
改めて彼の姿を見ると、決闘騒ぎの時と随分と雰囲気が異なっていた。職人技が冴える鎧はボロい皮製に置き換わり、風貌もどことなく薄汚れていた。『没落した貴族』を体現している格好だった。護衛の二人もいないようだし。
「わ、私は卵にすら劣るほどなのか…………」
どうやら、卵よりも素っ気なく扱われたことがショックだったらしい。いやいや、君はそんなキャラじゃないでしょうよ。もっと厚顔無恥っていうか恥知らずというか、駄目貴族の典型だったでしょ。
嘘泣きで油断を誘っているのだったら問答無用で殴り飛ばしているが、困ったことにガチで泣きが入っている。本気で泣いている相手に追い打ちを掛けられるほどに俺は坊ちゃんに恨みはない(この時、彼に撃たれたことは忘れてた)。
対応に困った俺がその場に立ち尽くしていると、誰も頼んでいないのに坊ちゃんが語り出した。
俺、クロエと決闘を終えた後から始まり、護衛二人からの三行半、借金取りの催促、実家からの勘当。まさに転落人生の見本のような一ヶ月間だった。や、ぶっちゃけ九割九分自業自得だったのだが、泣きながらの独白に突っ込めるほどの冷徹漢でもないしな。
そして最後。この森で俺の姿を目にした途端、気がつけば持っていた銃を発砲していたこと。それを締めに坊ちゃんの語りは終わった。
話を聞き終えた俺はまず一言。
「…………恨み辛みは本人が居ないところでぶちまけてくれ」
呆れに溜息すると、坊ちゃんは泣き腫らした目を逸らした。や、坊ちゃん的には俺に聞かせるつもりはなく、ただ胸の内側を誰かに吐き出したかっただけだろう。
視線を逸らして少しすると、坊ちゃんはまたも口を開いた。
「貴様は…………」
「お?」
「貴様はどうして話を黙って聞いていたのだ?」
「一方的に話し始めて何を今更」
「私は貴様に対しての恨み言を吐き出していたのだぞ。どうしていつかのように罵詈雑言をぶつけてこない」
「普段から歌うように罵詈雑言を並べるような人間にしないでくれ」
失礼だな。…………本当に失礼だ。大事なので二回。
「それに、私を返り討ちにする機はいくらでもあったはずだ。なぜ私を殺さない」
「…………さぁな」
坊ちゃんが俺を撃ち殺した(と誤認)した時、「ひゃっはぁー!」と歓喜の声でも上げていたら、氷の斧をお見舞いしていたところだ。だが、彼は喜ぶどころか狼狽の色が強く、銃を取り落としていた。計画的な犯行ではなく、衝動的な行動だったのだろう。話を聞く限り、死に物狂いで働いていた影で溜まっていた鬱憤が、その状況を作り出した俺を目にした途端、暴走してしまった、とこんなところか。あの絡みつくような嫌な気配の正体はおそらく『それ』だ。
ぶっちゃけ、彼に情状酌量の余地は無い。普通に正当防衛が成立する。
それでもどうして彼を即座に殺さずにいたのか。
強いて理由を挙げるのならば『同情』だな。
俺を撃った直後の呆然自失とした様子。
語りの最中に見せた涙。
俺への恨み辛みを口にするときに感じられた感情の色。
どれもに、強い後悔が滲んでいた。
「答えの代わりといっちゃぁ何だが、逆に問う」
俺は坊ちゃんの目を真剣に見据えた。
「今でも俺を本気で恨んでるか?」
「あ、当たり前だろうッ! 貴様に負けたせいで私はこんな薄汚い格好でいるのだからなッ!」
「だったら、どうしてこれまで俺を殺しに来なかった?」
「そ、それは…………貴様が目の前にいなかったからッ」
「だったら、草の根を分けてでも探し出せただろう。おまえさんもそうだが、俺も冒険者だ。ギルドに数日でも張ってりゃぁ、依頼を受けにくる時に見つけられただろう。後は人気のないところに入ったところをその銃で強襲すれば俺を殺せたかもしれない」
「そ、それは…………」
坊ちゃんは咄嗟に言い返せずに口籠もった。
や、多分それでも普通に対処できてたとは思う。明確な殺意を抱いて銃を構えたのならば、それこそ不意打ちでも反応できただろう。今回は、ほとんど衝動的な行動だったため、絡みついた嫌な気配はあったが殺気が薄かった。だから反応氷結界が役に立つ結果に終わってしまったが。
彼はこの一ヶ月、生まれて初めて必死に働いた。そのおかげで余計な事を考える暇はなかった。余分な思考が全てそぎ落とされてしまったという。言い換えれば、俺への殺意や恨みはその『余分』に含まれていた。
この坊ちゃんは確かに愚かに違いなかった。貴族の権力を笠に着て今まで好き勝手してきたのは想像に難くない。現にそれが原因で実家を勘当されたのだしな。
だけれども、根っこの部分はまだ完全に腐りきっていない。
でなければ真っ当な手段で借金を返そうとは思わない。なにせ実家からの勘当の上に莫大な借金が返せなければ強制労働の刑罰が待ち受けていると、様々なプレッシャーに追いつめられていた。自棄になり恨みの矛先を俺とクロエに向け、闇討ちでも何でもしていただろう。
ーーーー幼い頃に似たような馬鹿が俺の側にもいた。
そいつは教えられれば何でもできた。
教えた奴よりも何でもできた。
教わらなくても何でもできた。
でもって、周囲の誰よりも大馬鹿だった。
けど、本当の意味で愚かではなかった。
そいつは、今ではヘタレではあるが人の良いイケメンをやっている。
あのヘタレが立ち直れたのだ。俺の目の前にいる大馬鹿野郎だって立ち直れるはずだ。少なくとも、憎い相手を殺したのに呆然としているならば、自分の行いに真っ当な後悔ができるのなら可能性はある。
「おまえさん、手ぇ出せ」
「は? いったい何を…………」
「いいから」
坊ちゃんは訳も分からず、だが渋々と手を差し出した。俺はその手の平に、緊急用の金策として持っていた宝石の一つを落とした。
決して安物ではないと分かる品を目に、坊ちゃんが驚く。
「そいつで借金返しな。金貨五枚分位はあるだろうよ」
「なッ…………貴様の施しなど受けんッ」
「けど、今日中に金貨五枚を用意しなきゃおまえさんは強制労働行き。かといって金貨五枚を稼ぐ手立てもない」
「だ、だからといって情けを掛けられる謂れはない!」
「馬鹿言え。こりゃおまえさんに『貸し』を作ってるだけだ。後日にきっちりと取り立てるからな。安心しろ、低金利の長期計画だ。十日で一割なんて暴利は取らないさ」
「ふざけるなッ! いくら家を勘当された身とはいえ私にだって
誇り
はある! 貴様ごとき平民に借りを作るほどに落ちぶれてはいない!」
「悔しいか?」
「当たり前だ!」
「…………だったら」
激昂する坊ちゃんの胸ぐらを掴み上げ、顔を近づけ俺は怒鳴った。
「だったら! 俺を見返してみろ! こんな奴助けなきゃ良かったと、情けを掛けなきゃよかったと後悔するぐらいに名を上げてみせろ! 金を稼いでみろ! ついでに、てめぇを見限った実家の奴にも、切り捨てるんじゃなかったと思えるほどに出世してみろ! でなけりゃぁてめぇは正真正銘の負け犬野郎だ!」
俺の言葉に最初は呆然とした坊ちゃんは、次第に目に力が宿り歯を食いしばる。弱々しかった瞳に強い光が宿る。
「次はないぞ。また不意打ちで狙ってきたら、今度こそ問答無用にぶっ殺すからな。その時は覚悟しろよ」
「…………ッ、この私をこれ以上舐めてくれるなよ」
坊ちゃんは俺の胸を掴み返してきた。
「良いだろう。上等だッ! やってやろうではないか! 貴様も家も、まとめて後悔させてやる! 金も侮辱も、利子を盛大に付けて叩き返してやる。今吐いた言葉、忘れるなよ!」
「おお、そうかいそうかい。そりゃ楽しみにしてるよ」
「抜かせッ! 貴様など、すぐさまに置き去りにしてやるからな!」
そう言って、彼は俺を突き飛ばすように胸ぐらを手放した。俺も抗わずに坊ちゃんから離れた。肩を怒らせた彼は勢いよく立ち上がると、尋ねてきた。
「貴様、名前は?」
「普通、名乗りってのは自分からだぜ?」
「…………いや、貴様は決闘時に一度名前を聞いているはずだが」
「その台詞はそのままブーメランだからな?」
坊ちゃんは舌打ちをしてから、
「ルキスだ。もはや家からは勘当された身。ただのルキスと呼べ」
「じゃ俺もカンナでいいぜ」
名字を名乗らないのは、この世界でそれは上流階級の人間しか持っていないからだ。気にせず名乗ったこともあったが。
「あ、名を上げるって言っても真っ当な手段で出世しろよ。もう貴族じゃないんだし、人様に迷惑かけてるの見つけたら遠慮なく叩き潰すからな」
釘を刺しておくと、凄い形相で睨み返された。や、俺たちと決闘に至った原因を思い返してみ? ま、もう大丈夫だろうけどな。
俺は無差別に人助けができるほどにお人好しでなければ、自分を殺しにきた相手に同情できるほどに聖人ではない。けど、たまには人に甘くしても罰は当たらないだろうさ。情けは人の為ならずとも言う。回りに回って自分に返ってくるかもしれない。片手間で恩が売れるのならばそれはそれでいいではないか。
これで真っ当に立ち直るか、落ちるかは彼次第だ。
あ、そう言えば言い忘れてた。
「実は俺、もうDランク。既に一歩リード中」
「貴様はどこまでも人を虚仮にしてくれるなッ」
ブチ切れた坊ちゃんーーいや、ルキスの絶叫が森林に木霊するのだった。