Kanna no Kanna RAW novel - chapter (62)
第五十七話 既に色々とフラグを立てていた事を俺はまだ知らない
一人の若者を更正(?)させた俺は、狩猟袋を背負い直し、森の出口へと足を向けた。採るもの採ったし、この場にもう用はない。
「む、貴様、逃げる気か」
「…………え、どゆこと?」
ところが出口に向きを変えたところで、ルキスが二剣を鞘から引き抜き、その一方を俺に突きつけてきたのだ。殺気が感じられないので身構えはしないが、話が飲み込めない。
「言っただろう。貴様を後悔させてやると。ならば、先日の雪辱を晴らすために、貴様に決闘を申し込む!」
「…………や、ここは再戦を誓って終わる場面じゃね?」
「貴様の下に一分一秒たりとも甘んじてなどいられるかっ! 金を返す前にまず、決闘の借りを返させてもらう!」
…………致命的に歪んだ部分は矯正されても、傲慢な部分が完全に更正したわけではなかったらしい。や、この短時間で全てが解決するほどに人間は単純な作りをしていないか。
しかし困った。俺としては全くやる気がでない。一刻も早く卵料理が食べたいのだ。こいつの事情に付き合ってやる通りはない。
安心してほしい。その場限りの言い逃れは俺の数少ない得意技の一つだ。この面倒な事態、小細工がみっしりと詰まった皺だらけの脳を駆使し、舌先三寸で見事に脱してやる!
「あー、ほら。おまえってまだEランクじゃん」
「む、そうだが」
「で、おれDランク」
「…………斬り殺されたいのか貴様ッ」
激昂するルキスを手で制して落ち着かせる。
「や、別にランクが高いからって偉ぶるつもりはない。けど、このまま決闘を受けたらちょいと不平等になる」
「私が実力的に劣るとでも」
「や、俺たちじゃなくて世間的な問題だ。もしだ。もし、万が一に、仮に俺が勝ったとすると『Dランクの奴が新人を虐めて悦に浸っている』という不当なレッテルが貼られる可能性があるのよ。対しておまえさんが勝てば、『調子に乗ったDランクを新人が懲らしめた』と。ここでもまた俺はボロクソに言われるわけよ。これって、一種の不平等じゃね?」
「…………ふむ。勝敗の後の立場に差が出てきてしまうのか」
『もし』や『万が一』と、こちらが勝つ確率を低く持ってくるのがポイントだ。自然な形で相手を持ち上げて、気勢を削ぐ。
突きつけられていた切っ先が徐々に下がってきているので、順序は間違っていない。あともう一押しだ。
「けど、俺もおまえもともにDランクだったらこんなことは起こらない。対等な立場の上で、正々堂々の決闘が行われたって形になる。これなら、誰も文句は言わないだろうさ」
「…………一理あるな」
納得に首を縦に振ると、ルキスは掲げていた剣を完全におろし、腰の鞘に収めた。
「良いだろう。確かに貴様の言うとおりに、このままでは対等な立場とは言い難いな。公爵家を追放されたとは言え私にもプライドはある」
ほ、どうやらこの場は戦わされずに済みそうだ。
「だが覚えておけ。私は必ず、近い内にDランクに昇格してみせる。そうなればもはや我々の立場は対等だ。その時は、首を洗って待っていろ!」
…………あかん、変なライバルフラグ立ててもうた。
失敬、妙な方言が出てきた。
当たり前だが『その場逃れ』はその場を逃れる言い訳に過ぎず、後先全く考えない行き当たりばったりだ。後の展開を考えればこうなることは明白だったではないか。結局、問題の先延ばしにほかならなかった。
若干憂鬱になる気分を、久しぶりに味わえる卵料理の楽しみで緩和しつつ、俺は町へと帰還したのだった。
ドラクニルに到着すると「今に見ていろ、私を助けたことを後悔させてやるからな!」との捨て台詞を吐いてルキスは走り去っていった。向かう先はおそらく宝石商。早速俺の『貸した』宝石を換金し、借金を返済するのだろう。後はあいつ次第だ。面倒くさいとは思うが、同じランクに立った時、決闘の申し出くらいは受けても良いか。
俺はといえばさっさとギルドに向かい、採取したベニハネ鳥の卵を引き渡して依頼完了。六つを納品し、余った二つは隣の食堂に持ち込みだ。
卵焼きか目玉焼きか。や、二つあるんだし両方とも。や、しかしここは調理人にお任せでなにが来るのかを楽しみにするのもありか。
なんてことを考えながらギルドから出ようとすると、一階ホールの中に見知った姿があった。リーディアル婆さんがきょろきょろと辺りを見渡していたのだ。
初対面の一件を除き、婆さんとは彼女の執務室でしか会ったことがなかった。だから、冒険者たちがギルド内で最もよく訪れる一階のホールで見つけたことに驚いた。
どうしてか、婆さんを目にした冒険者たちは、だいたい誰もが身体を硬直させ、その後は足早に彼女の側から離れていくのだ。婆さんはギルド内でも『それなり』の立場にいると言っていたし、変に目を付けられると困るからだろうか。
ーーーー後に知るが。
現役を引退してはいるが、リーディアルの武功は今なお冒険者たちの中では光り輝いており、莫大な畏敬の念を集めていると。まさに生ける伝説とまで言われるほどの元Sランク冒険者の前に立つことは恐れ多いとされている。
が、現段階の俺はそんな由を知る筈もなく、
「よぉ婆さん。サボリか?」
「お、小僧か。失礼な奴だね、休憩中だよ」
俺は婆さんに気軽に声をかけたのだが、どうしてかその瞬間に場の空気が騒然となった。
「お、おいあの若造。なにを考えてやがる」
「あのリーディアル様に「婆さん」呼ばわりだと。…………死にたいのか?」
場の注目が一斉に俺へと集まった。って、冒険者のみならず、職員のみなさんも顔が硬直してらっしゃる。あ、一人だけ。シナディさんが大きな溜息を吐き出している。それは俺に対してか? 婆さんに対してか?
と、周囲の妙な雰囲気に目を配らせていると、俺の正面から凄まじいほどの『気迫』が溢れ出した。突然に生存本能を脅かすよな化け物が出現したかのような錯覚だ。途端、あれだけ騒がしかった周りが、水を掛けられた火のように静寂になった。
慌てて視線を正面に戻すとーーやはりリーディアルの婆さんしかいない。彼女は相変わらず人を食ったような微笑を浮かべていた。多分、『狐に化かされたような顔』とは今の俺が浮かべているものだろう。
「はいはい、見せもんじゃないよひよっこどもッ、散った散った! 職員も固まらないでさっさと業務に戻りなッ!」
婆さんがパンパンと手を叩く。軽快な音と鶴の一声に、硬直していたその場にいた者達は我に返り、慌てたように動き出す。少しもすれば、冒険者ギルドの内部は普段通りの喧噪に戻っていた。
…………え、何だったんだ今のは?
「ったく、たまに外に出りゃぁこの始末か。若気の至りってのは恥ずかしい限りだねぇ」
婆さんは苦笑を漏らす。
「さて小僧。これも何かの縁だ。聞いておくが、今は急ぎの依頼を受けてるかい?」
「い、いや。さっきに受けてた依頼を終えたばかりでフリーだが」
「そうかいそうかい。じゃ、ちょいとばっかしこの婆の使いを頼みたいんだが、いいかい?」
「使い?」
「知り合いにちょっとした『品』を届けて欲しいのさ。詳しい事は私の執務室で話すよ」
そういった婆さんはギルドの奥の方へ歩き出し、俺もそれに続いた。さらにその背後は、先ほどではないがなにやら騒々しい雰囲気が流れたが、気にはなりつつもそのまま婆さんの後を追った。
「しかし、一介の冒険者がこうも頻繁にギルド重役の部屋に来てもいいのかね?」
「贔屓をしてるわけじゃないし問題ないだろうさ。あんたのDランク昇格は紛れもなくあんたの実力でもぎ取ったもんだ。目を付けている、という点ではある意味贔屓かもしれないがね」
「…………や、それってトラブルの元でしょうよ」
上役の贔屓と異常な出世速度は、後輩が先輩に因縁を付けられる最たる原因だ。今になって、あの場で婆さんに声をかけたのを後悔した。多分、一階ホールにいた多くの者に俺の顔を覚えられた。白髪の赤目はかなり目立つし。
「その程度を気にするタマじゃないと私は思ってるがね」
「誹謗中傷は慣れてるけど、かといって無用に注目を集めたい訳じゃないんだよ」
「そうかいそうかい」と、分かっているのかそうでないのか曖昧な返答をする婆さんは、笑いながら執務室の扉を開けた。
部屋に入るなり、婆さんは執務室の片隅へと向かう。そこには、布に包まれていた長さ一メートルは余裕で越えている長い『何か』が立て掛けてあった。もしかしたら自身の身長に匹敵するそれを、婆さんは手に取った。
「今、帝国軍と冒険者が合同で作戦に向かっているのはあんたも知ってるだろ?」
「婆さんがクロエを推薦してた現場にいたんだ、当然だろ」
「実は、帝国軍の方から出張ってる騎士団の隊長が私の『知り合い』でね。渡したい物があったんだ。本来なら帝国軍と合流する冒険者の誰かに頼んで届けてもらおうと思ってたんだが、最後の仕上げに手間取っちまってね。で、完成したのがついさっきって訳だ」
「つまりお使いってのは『そいつ』を婆さんの知り合いに届けりゃぁ良いんだな?」
「もちろんこいつは『依頼』だ。ちゃんと報酬も出してやるよ」
掲示された報酬は銀貨五枚。ただのお使いにしては破格な値段だ。
「コイツは戦道具でね。たかだかゴブリンの上位個体には必要ないかもしれないが、あったらあったで心強いだろうさ」
「別に俺じゃなくても、緊急の依頼って形で掲示板に張り付けとけばよかったんじゃねぇのか?」
「『コイツ』を作るのには中々に金が掛かってね。売ればそれなりの金になる。なるべくなら信頼できる奴に預けたかったのさ。けど、あいにく目ぼしい奴は他の依頼で出払っててね。他に頼める奴がいないか、ホールで探してたところに、あんたが声を掛けてきたのさ」
「俺が持ち逃げしないとは思わなかったのか?」
「伊達に長生きはしてないよ。信頼できる奴とそうでない奴の見分けは付くさ。あんたはなんだかんだで不義理はしない男だと判断してる」
なんだかんだっておい。別の誰かに同じ事を言われた気がするぞ。
「…………ま、届け物をするだけで銀貨五枚なら申し分ないか。別に魔獣を討伐しろって話じゃないんだろ?」
「そこまで頼むつもりはないさ。けど、あんたさえよければレイド依頼の飛び入り参加も認めるが」
「それこそ依怙贔屓だろうよ。美味しい魔獣の大群ならともかく、緑色の化け物相手にやる気なんて出るか。渡すもの渡したらさっさと帰るよ」
「…………あんたは冒険者稼業をなんだと思ってるんだい」
「俺にとっちゃぁ、食欲を満たすための調達屋だな」
お馴染み呆れ顔を頂きつつ、俺は依頼を受ける意を伝え、婆さんが持っていた布に覆われた長大な代物を受け取った。
「うぉう、地味に重いな」
俺の身長にちょっと足りない程度の外見の長大さに相応しい重量がのし掛かる。下を地面に置き、肩に立てかけるようにして持つ。持ち歩くときは背負う形にしないと運ぶのに苦労しそうだ。
「って、婆さん。あんた何気に力持ちだな」
婆さんが壁に立て掛けてあったのを持ち上げるときは、軽々しく扱っていたのだが。
「これでも元冒険者さね。まだまだ若い者には負けられないよ」
「もうさ、あんたが直接届けりゃいいじゃん」
「馬鹿を言うなっての。私は気ままに依頼を受けるあんたら冒険者達と違って何かと忙しいんだよ。軽々しく一日も二日もギルドを空けられるかい」
ゴブリンが大発生している場所はドラクニルから列車で半日ほど掛かる。往復をするだけで優に日を跨いでしまうか。
「今から列車に乗っても、あっちに作られた野営地の最寄り駅に着くのは夜になっちまうだろう。だから、今日はそこで一泊して次の日の朝に出れば野営地には昼頃着くね」
「今日中に届けなくてもいいのか?」
「驚かせてやろうと思って『コイツ』を用意したことは伝えてなかったからね。なきゃないで何とかなると思ってるだろうし」
あくまで『これ』は念の為であるようだ。
「野営地の入り口には見張りの兵士いるだろうから、私のサインが入った書類を見せれば通してくれるはずだ。多分、作戦中で出払ってるだろうから、本人が帰ってくるまで野営地で待ってて欲しい。で、受け渡しが完了したら団長本人のサインを書類の方にもらってきてくれ。そいつをシナディか私に提出したら依頼完了だ。質問は何かあるかい?」
「や、特に。あ、一応念の為に。婆さんの知り合いだって言う団長さんの名前は?」
「『レグルス』だよ。顔まで隠した全身甲冑の上でっかい剣を背負ってるから直ぐに分かるはずだよ」
「え? 顔まで隠してるのにすぐに分かるのか?」
「そいつの副官も同じような甲冑を着てるが、剣まで背負ってるのはレグルスしかいないよ。あんな酔狂な格好、誰が好んでするかい」
…………そんな容姿不明の酔狂な輩が二人もいる騎士団ってのは大丈夫なのか?
「格好は不審者だが実力は本物だよ。騎士団としては小規模だが帝国屈指の戦力を誇ってる。特にレグルスの単騎戦力は国内トップクラス。副官の方も切れ者だって評判だ」
一通りの説明を終えると、婆さんは執務机の上に乗っていた書類の一枚を持ってきた。
「ほれ、依頼の受注書だ。細かい処理はこちらでやっておくからさっさと出発しな」
婆さんから書類を受け取った俺は、一度ギルド隣の食堂に卵を預けに向かった。
依頼を受けてしまい、卵料理を食べられるのは明日以降になると伝えると、従業員のお姉さんは「少々お待ちください」と卵を受け取って店の厨房へと消えた。二十分ほど立つと、彼女はバスケットーー手提げ籠を持ってきた。中にはなんと、ベニハネ鳥の卵サンドイッチだった。
「これなら列車の中でも食べられると思います」
「や、ありがとうございます。でも手間だったんじゃ?」
「いつも当店を利用してもらってるのでサービスですよ。あ、お値段の方はサービスできないのでご了承ください」
と、あざとくも可愛らしい笑顔を向けられれば俺も笑顔でお値段を払うしかなかった。や、結局はおいしい料理が食べられるので全く持って文句はないのである。
俺は背中に長い『届け物』を背負い、手にはサンドイッチの入ったカゴを携えながら、ドラクニルの駅へと向かうのだった。