Kanna no Kanna RAW novel - chapter (74)
第六十九話 知らぬ間に人誑し
また時間は遡る。
「ちょ、ちょちょちょっとぉぉッ!? え、何が起こってるんですかねぇ!? このドデカい氷は何なんですかねぇ!?」
混乱の極みに達した『万軍』は発狂じみた叫び声を発した。
『とっておき』を召喚しようとしていたらいきなり『天剣』に襟を捕まれ振り回されて舌を噛み、抗議の声を上げようとしたらいつの間にかこの空間に進入していた『白髪』の男が、『万軍』が腕によりをかけて構築した召喚魔術式を破壊。ここまででも一杯一杯なのに、白髪の男を始末しに後を追った『天剣』が、超巨大な氷塊と共に送り返されてきたのだ。もう訳が分からない。
一分か二分ほどの時間を要してようやく思考に冷静さが戻った『万軍』は状況の分析に思考を割いた。
「…………とりあえず、『天剣』は無事なんでしょうかねぇ?」
目を見やれば、岩肌の壁にめり込んだ巨大な氷塊。
単純な質量も凶悪だが、それが凄まじい速度で激突したときの破壊力は想像するのも恐ろしいほどだ。混乱する『万軍』が僅かに確認できたのは、『天剣』が巨大氷塊と壁の間に『圧殺』される瞬間だった。確実に一メートル以上は食い込んでいる氷塊から想像するに、彼女の『無事』は絶望的だろう。
ーーーーバゴンッ!
「今度は何ーーーーのぎゃぁぁぁぁッッ!?」
突如として、音と共に粉砕された岩の礫が『万軍』を襲い、薙払った。
破壊された岩肌の壁から姿を現したのは、驚くべき事に『天剣』であった。だが、左腕がグシャグシャに潰れており、無事とは言い難かった。それでも両の足で地面を踏みしめ、右手に剣を携える姿は弱々しさを感じさせない。
「『天剣』っ!? あなた無事だったのですか?」
壁にめり込む氷塊と『天剣』を交互に見やり、『万軍』は仰天した。岩の礫に身体に喰らった文句が出るよりも驚きだった。
「この左腕で無事とは言い難いが、どうにかな」
白髪の男ーーカンナが行使した『超巨大氷砲弾』は『天剣』の想像を遙かに超えた代物だった。魔力の前触れもなく、それでいて恐るべき威力と範囲を持ったその攻撃を正面から喰らえば、『天剣』とて無事では済まない。避けようにも攻撃の範囲が広すぎて逃げ場がない。そう判断した『天剣』は五体満足でこの状況を脱するのを諦めた。左腕を躊躇無く『クッション』代わりにすることで氷塊の衝撃を最小限に留める。結果、氷塊と衝突した際に、左腕を除けばほぼ無傷の状態で氷塊に押し出される形になった。
次に、相対的に背後から迫り来る岩盤に無事な右手の剣で剣閃を走らせる。片手とはいえ『天剣』の実力であるのならば『この程度』の体積を持つ氷塊なら即座に細切れに出来ただろうが、衝突の瞬間に感じた氷塊の強度にそれは断念した。それよりも、『ただの』岩肌の方が断然に対処しやすい。氷塊と岩盤が衝突するよりも早く、その二つによって圧殺される前に『天剣』は岩盤を細切れにし、奥行きが二メートル程の、人一人分が収まる『空白』を確保した。
これが、天剣が無事だった全容だ。後は岩盤をそのまま剣で切り崩して穴を掘り続け、最後の薄い部分を吹き飛ばして脱出完了だ。
「あの一瞬でよくそこまで判断できましたね」
「同じ事をもう一度やれ、と言われても出来る自信は無いがな」
人の心理の『穴』を射抜くような攻撃を、片腕の犠牲で退けられたのは運が良かったといえる。全ての判断がもしコンマ数秒でも遅れていれば片腕どころか全身が潰されていたかもしれない。
「それにしてもらしくないですねぇ。あなたが本領を発揮していれば、この程度の魔術は楽に打ち破れたのでは?」
「否定はしないが、これも私の未熟が招いた結果だ。魔力を感じ取れなかったのを、油断をしてよい理由にはならん。潰れた左腕はその代償だと思えば安いものだ」
「普通、腕を潰されたらそこまでドライな台詞は吐けないのですがねぇ。…………まぁ、あなたの場合。腕の一本や二本潰れても、
特に支障は出ない
でしょうけどねぇ」
「人を『クラーケン』みたいに言うな。斬り殺すぞ」
ちなみに、クラーケンは超巨大イカ型の討伐ランクAの超危険魔獣である。『万軍』からして、驚異の度合いは彼女もクラーケンも大差ないーーどころか『魔獣』呼ばわりに怒気を発する『天剣』の方が遙かに恐ろしい相手ではあったが。
「ま、無駄話はここまでにしましょうかねぇ。あの白髪の魔術で、この洞窟の岩盤が致命傷を受けたようですし」
「ここは放棄するしかないか。貴様特製の魔術式も見事に破壊されてしまったからな」
「うぅぅぅ、それを言わないでくださいよ」
氷の剣山は消滅しており、後に残るのはグシャグシャになった地面だけであり、そこに緻密な大規模魔術式が描かれていたとは誰にも判断不能なほど。
『万軍』は泣き言を漏らしながら地面に手を付くと、新たな魔術式を構築する。召喚術と近い構成をされていたそれはいわゆる『転移』の魔術式。使い手の極めて少ない『空』属性魔術士が扱える遠距離移動用の魔術式である。
「…………しかし、こうなると一度『本国』の方に戻って指示を仰がなければならないな」
「ですねぇ。この後に出されていた指示も全ては『この作戦』が成功する前提で組んでましたからねぇ。他にもいろいろと検討しなければならない点がありますねぇ」
「そう…………だな」
これまでにない様々な異常事態。その中で一際に異彩を放つあの『白髪の男』の顔が、『天剣』の脳裏に強く焼き付いていた。
実力の三分の一以下の状態ではあったが、慢心を抱いて手痛いしっぺ返しを喰らったのだ。言い訳のしようがない。巧妙に魔力を隠し、かつ瞬時に強力な魔術を発動させた手腕を誉めるべきだ。
だが『天剣』に深く印象を残しているのは彼の深紅の瞳だ。
ーーーー自己の塊のような強い意志を感じられた。
実の所、あの瞳に魅入ったのが判断の遅延を招いた小さな理由であった。
(不思議だ。あの瞳を思い出すと鼓動が高まる)
無事な右手で左胸を触ると、奥にある心臓が僅かばかりに高鳴っていた。戦闘中の興奮とも、怒りの憤慨とも違う。
(それに、頬も熱い)
果たして、この言い知れない感情は何なのか。
その答えを出す前に、『天剣』と『万軍』の姿は魔術式の発する光に包まれ、洞窟の内部から姿を消した。
そこから数分遅れて、激しい崩落と共に二人が存在していた痕跡は岩に埋もれて消えたのだった。