Kanna no Kanna RAW novel - chapter (80)
第七十三話 流星拳は登場しません
講習の内容は現実世界での社会科授業に良く似ていた。
昨今の国内情勢や有力貴族の名前。特に最も高い位である『公爵家』の名は必須事項。他には希少な素材の買い取り相場や護衛依頼の時のリスク管理。また、貴族と実際に交渉するときはどの程度まで不敬罪の対象となるか、冒険者としてどのように対応するべきか。
……………………ぶっちゃけ、覚えきれんかった。
元々、俺の脳細胞はそこまで高性能ではない。高校の成績は『中の中から下の上』辺りだ。保健体育だけは満点近かったが。
ファイマが教えてくれたときは一日を掛けて一つの事柄をじっくりと教えて貰ったおかげでなんとかなったが、二時間半内に要点を詰め込んだ講習の内容を余さず暗記できるほどに有能ではないのである。
どうにか、この国の有力貴族の名前を暗記するので精一杯だった。
「…………勉強なんて嫌いだ」
ギルドに隣接している食堂の一角で、俺は氷を枕代わりにしてテーブルに頭を垂れていた。知識の詰め込みに過ぎでオーバーヒートしている頭に冷気が伝わって非常に気持ちがよい。
「意外でござるな。カンナ氏の事ですし、あの程度はさらっと覚えられると思ってたでござるが」
「俺が覚えきれなかった内容を『あの程度』と言うかこの駄犬は。尻尾引っこ抜くぞ。毛を全て刈り取ってやろうか?」
「こ、怖いでござるよカンナ氏ッ! …………いやいや、そもそも拙者は狼であってーーーー」
「……………………あぁ?」
「ワフッ?! せ、拙者ごとき駄犬で結構でござる! ワフッ!」
「嬢ちゃん。そこはもうちょっと踏ん張れや」
「無理でござるよぅ! カンナ氏のあの眼、視線だけで人を殺せるぐらいに恐ろしいでござるよぅ…………」
涙目のクロエが耳をへにょらせてる。失敬な。機嫌が悪いのは否定しないがそこまでではないはずだ。
バルハルトのおっさんは俺とクロエのやりとりに肩をすくめた。
俺がふらふらになりながら食堂へと向かうところ、クロエはわかるのだがおっさんまで一緒についてきたのだ。何故か気に入られたらしい。俺もおっさんが何となく気に入ったが、今は会話を楽しめるほどに頭の熱が収まっていない。
「ま、兄ちゃんの機嫌が悪いのもわかるっちゃわかる。あれだけ注目を集めてりゃ無理もない」
俺の気疲れの原因は講習の内容だけではなく、他の冒険者達からの注目だ。興味津々な視線が俺の全身に突き刺さり、欠伸一つすらできない。
さらに始末の悪いことに、講師として訪れたあのAランク冒険者まで俺に強い関心を向けてきたのだ。居眠りも授業放棄もしてないのに、明らかに他の面子に比べて質疑応答の名指しがされる回数が多かった。この国の情勢や貴族の名前なぞほとんど知らない俺は、質問される度に「わかりません」と答えるしかなかった。
「傍目から見てもアンサラに目を付けられてるのが分かった。なぁ兄ちゃん、心当たりは無いのか?」
「…………あると言えば、ある」
「どんなだ?」
「登録試験の時、試験官だったあいつに不意打ちで一撃ぶっこんだ」
「……………………あのアンサラに、一撃当てたのか?」
「ああ」
バルハルトは渋い顔になりながら、両腕を組んで唸った。
「…………登録試験で不意打ちかましたおまえさんを責めるべきか、あのアンサラに一撃入れたことを称賛すべきか、非常に悩むな」
「アンサラ殿はそこまで強い御仁なのでござるか? あ、いや。Aランク冒険者が紛れもない実力者なのは疑いようは無いでござるが」
クロエの質問にバルハルトは首肯した。
「『
後より答えを出す者
』の異名は伊達じゃねぇ。俺は盗賊の討伐依頼を受けたときに、同じ依頼を受けていたアンサラが戦っている光景を見たことがある。敵の先手を悉く潰し、気が付けば後手に回ってたはずのアンサラが斬り捨てていた。まるで相手の心の内を読んでいたかのようにな。あの竜剣が攻撃の達人なら、奴は反撃の達人だ。登録試験を受けようとするド新人が幸運で一撃を与えられる奴じゃない」
思い返すと、性格はアレではあるが、間違いなく実力のあるルキスの奴が一方的に攻めていても掠りもしなかった。
「アレか。プライドを傷つけられたから、丁度良い機会に舐めた新人をイビリ倒そうと?」
「Aランクにまで上り詰めた猛者が、そのようなセコい方法を取るとは考えにくいでござるよ。カンナ氏に純粋に興味を持たれていたのではござらんか?」
「良かったじゃねぇか兄ちゃん。Aランクとの伝手があれば、今後は何かと優遇して貰えるかもしれねぇぞ?」
「とは言うけどなぁ…………」
「あんまり嬉しそうじゃねぇな。Aランクの後ろ盾はかなり魅力的だと思うがな」
「正直、関わり合いになりたくない」
既に『白夜叉』の云々でギルドの内部で注目を集め始めている。ここでさらにAランクとの繋がりがあると知れれば望まぬ騒動が起こりそうで怖い。
「冒険者は腕っ節次第でどこまでも成り上がれる稼業だ。だってのに、醍醐味である成り上がりに興味ないってのは珍しいな。上のランクに行けば名誉も金も掴み取りだぞ?」
「俺は毎日の日銭が稼げりゃぁいいんだよ。名誉がどうとか、出世とかあんまり興味ねぇ。威張り散らしたいわけでもないしな」
人によっては『枯れている』と思われるかも知れないが、他の者と俺とでは境遇がまるで違う。元の世界に戻る気でいるのに、この世界で出世してどうするよ。それに、出世すればするほど、有名税とはまた別に厄介事のフラグが乱立しそうで怖いのだ。現時点で既に致命的なフラグが刺さりまくっている気がするが、勿論気のせいだろう。
…………気のせいだと良いな。
「私としては是非とも、上のランクを目指して貰いたいのだがね」
「カンナ氏ならBランクは確実。Aランクにも到達できると拙者は信じているでござるよ!」
「お、嬢ちゃん。随分と兄ちゃんのことを買ってるねぇ」
「当然でござるよバルハルト殿! カンナ氏は拙者の命の恩人であり、最も尊敬する御方でござるからな!」
「ははは。随分と期待されているようだ。女の子にこれだけ期待されていたら、応えてやらないと男が廃るな」
「いやいや。なってCランクが限度でしょうよ。それ以上は自分から目指そうとは思わーーーーーーーー」
ーーーーーーん?
「どうしたでござるかカンナ氏?」
クロエ。
「ん? 俺の顔になんか付いてるか?」
バルハルトのおっさん。
「やぁ、白夜叉君」
アンサラ……………………っておい。
「一人増えてるッ!?」
「「え?」」
あまりにもナチュラルに会話に参加していたので気が付かなかったが、いつの間にかテーブル席にはAランク冒険者にして講習の時にしつこいくらいに俺を指名しまくった男が追加で座っていたのだ。
軽快に笑うAランク冒険者、『
後より答えを出す者
』・アンサラ。
「はっはっは。どのタイミングで声を掛けようか迷っていたんだが、面白そうだったからこっそり同席させて貰った」
クロエとおっさんは呆気に取られている。先程まで話題に上がっていた人物がいきなり登場したのだから無理もない。
俺は二人の驚き以上のものを抱いていた。
(嘘だろ、今の今まで全く気が付かなかったぞ!?)
この世界に来て鋭さを増した俺の『勘』が役に立たなかった事実に、驚愕を越えて恐怖すら覚える。
これが、レアルと同等の『力』を持つAランク冒険者って奴か。
「随分と驚いているな。どうやら、敵意には聡いようだが『
敵意
』が無い相手となると反応が僅かに遅れると見た」
以前にも見た、心の奥すら見透かすような視線に射抜かれる。俺は狼狽しそうになる口元を引き締めた。
「ーーーーふむ、思っていたよりも立ち直りが早い。…………いや、動揺を隠すのが上手いのか。なるほど、その若さでなかなかの胆力だ」
表情を取り繕ったハッタリを見抜かれる。
「君の活躍はリーディアル様から聞き及んでいる。ギルドに登録してからまだ一ヶ月程度なのに随分と活躍しているようじゃないか。登録試験の担当だった身としては非常に嬉しいよ。あ、店員さん。私の分の茶も頼む。彼らと同じ物を」
アンサラは近くの店員に自分の茶を注文する。その隙に俺は静かに深呼吸して心を落ち着かせた。
「…………何の用ですかね、Aランク冒険者殿」
「そう警戒しないでくれ。別に取って食おうという話じゃない」
「や、警戒するなと言われても、あの登場じゃ無理ないでしょ」
「おっと、これは失敗だったか」
婆さんのとはまた違った、人を食ったような笑みを浮かべる。この男、いまいち人間像が掴みづらいな。
「えっと…………拙者たちは席を外した方がよろしいでござろうか?」
アンサラ出現が発覚してから口を開いていなかったクロエが、おずおずと手をあげた。バルハルトのおっさんも居心地が悪そうだ。
「構わないよ。私の方が後から加わった形だ。気にしなくていい、クロエ君」
「拙者の名前をッ!?」
「目を付けた新人とよく一緒にいる冒険者の名前ぐらいは調べるさ。それと、そちらの君はバルハルト君だったかな?」
いきなり名を出されたおっさんは「ほぅ」と感心したような声を発した。
「俺は白夜叉の兄ちゃんと喋ったのは今日が初めてだぜ?」
「君は以前に盗賊の討伐依頼で一緒にしていただろう。それに、ギルドに登録して僅か三年でBランクに手が届きそうな有望株だ。まぁ、冒険者になる以前の経歴の方にも興味はあるが」
「分かった。降参だ。それ以上は勘弁してくれ」
バルハルトのおっさんは「参った」と両手を上げた。
しかし、おっさんは冒険者歴三年なのか。随分と歳食ってから冒険者になったんだな。以前の経歴、と言うからには冒険者になる前は別の職業だったのだろうか。
「ちなみに、彼は現在二十五歳だ」
「「マジで(ござるか)ッ!?」」
さらっと発覚したおっさんの年齢に俺とクロエは仰天した。
衝撃の事実。おっさんがおっさんでなかった。
「ちょっと待ておいこら、その驚きはどういう意味だお前らッ!」
「てっきりベテランの冒険者だと思ってたでござるよ」
俺も、そろそろ四十突入するぐらいだと思ってました。
「くそッ。俺だって自分の老け顔は自覚があったよ。けど、そこまで驚くことはねぇじゃねぇか」
「……………………まぁ、それは良いとして。本当に何の用ですかね『
後より答えを出す者
』さんよ」
グダグダになってきた空気を強引に舵取りし、俺は改めてに質問した。「それはっておい…………」と拳をプルプルと震わせながら、クロエに「気にしたら負けでござる」と背中を叩かれているバルハルトは取りあえず放置しておく。
「ああ。実はリーディアル様から直々に依頼があってな。その為に君に声を掛けたのだよ」
婆さんから、という時点でもはや嫌な予感しかしない。
「依頼の内容は、とある冒険者のCランク昇格試験、その担当官だ」
「おっとどうやら急用を思い出した俺はここで失礼するぜい」
この場から逃げなければならない、という用である。
現実世界で磨いた逃亡スキルを発揮ーーしようとしたところで、俺の肩にアンサラの手が乗せられた。って、やんわりと乗せたようでいて、体がびくともしないんですが! 全く力が籠もってる風に見えないのに、椅子に縫いつけられた様に動かない!
「まぁまぁ、待ちたまえ。話はまだ終わっていない」
アンサラの落ち着いた声に『GAME・OVER』と幻視したよ。
「本来、Cランクの昇格試験は二種類行われる。冒険者としての知識を試される筆記試験と、Bランク以上の冒険者が監督として同行する試験用の特別依頼だ」
「あの…………肩から手ぇどけてくれません?」
逃げられないんで。
「けれども、私が監督を任された冒険者は、この特別依頼の代わりに別の試験を受けて貰うことになった」
「ぬぉおおおおおおおおおおおおッッ、動けぇぇぇぇぇッッッ!!」
「もはや形振り構わなくなったな兄ちゃん」
テーブルに両手を付いて全力で踏ん張っているのに椅子から躯がぴくりとも離れない。俺の極小宇宙は輝いていないのかッ!?
俺の必死な様子を見て些かの調子も崩すことなく、アンサラは淡々と告げた。
「試験の内容は『Aランク冒険者との実力試験』だ。さぁカンナ君、試験会場に向かおうか♪」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………………」
俺はアンサラに引きずられ、ギルドの奥へと連れ去られるのであった。