Kanna no Kanna RAW novel - chapter (83)
第七十六話 とりあえず殴る
ギルドの医務室で目が覚めた俺は、またも涙目になったクロエに抱きつかれ、乳息死ーーじゃなかった、窒息死の危機に陥った。解放して欲しいが口を塞がれていたので以前と同じく『左腕』で彼女の腕を叩いたのだが、そこで俺の左腕がくっついていることに気が付いた。
「夢じゃぁ……ねぇよな」
若干の痺れは残るが、左の腕から指先にかけて普通に稼働する。ただ、俺は意識のない間に衣服を脱がされていたようで上半身裸になっており、アンサラに『切断』されたはずの部位には白い包帯が巻かれていた。昇格試験の最後に起こった出来事が真実であったのを物語っている。
「明らかに入院が必要レベルの超重傷だったはずなんだが。……俺はどのぐらい寝てた?」
「二時間ほどでござるな。腕はシナディ殿の治療術式のお陰でござるよ。医務室の治療医によれば、半日ほどは痺れるでござるが、一晩寝ればそれも無くなるそうでござるよ」
すげぇな魔術。現実世界の医療技術じゃ数週間の入院に加えて長いリハビリ期間が必要だ。ただ、思っていたよりも痛みはないのだが、躯に力が入らない。二時間からの起き抜けにしては、丸一日食事を取っていないような飢餓感が腹にのし掛かっている。
「いくら優れた治療術式でも、失われた血液までは取り戻せないでござるからな。後で精の付く物を食べて養生するでござる。あ、それからーー」
『Cランク実力試験』の合格の報をクロエから聞かされた俺は、
「とりあえず奴は今度ぶん殴る」
と、決意した。
それを聞いたクロエは、予想外の何かしらを見るような目を向けてきた。
「…………そ、それで終わりでござるか? 腕を断ち切られたのでござるよ?」
「だから言ったろ。全力でぶん殴るって」
「いやいや、だとしてもそれは…………」
「仕返しにしては軽すぎるってか?」
黙りこくるクロエだが、この場合は肯定だろうな。
まぁ、俺だって思うところが無い訳では無い。さすがに腕を切断するほどの大怪我を負った経験は初めてであるし、二度目を経験したいとも思わない。アンサラに対する紛れもない怒りも確かにある。
だが、一方で間違いなく今回の戦いで得られた物もあるのだ。
「かかかッ。上等じゃねぇか。むしろ釣りが来る結果だ」
俺は左腕を右手で握りしめながら、笑う。
ーーーー『異様な気配』に連なる者たちの中には『天剣』という凶戦士がいた。彼女が彼奴らの中のトップであると断言できるほど俺も楽天家では無い。同等の戦力を有する人間が他にもいると考えたほうが自然だ。
十全に、とまでは行かずとも体験できたはずだ。
Aランク冒険者という『人外』の存在と戦うということの意味を。それに連なる代償を。
無能の俺が『主人公』よろしく健全な成長が望めるはずが無いのは、現実世界での経験が物語っている。人より成長率が遥かに低い俺にとって、人並みの『伸び』を得るためにはマトモな方法では駄目なのだ。
それこそ、心身ともに、文字通り『刻みつける』しか方法が無いのだ。
俺の基本スタイルは相手の土俵で戦わず、こちらの土俵に引きずり込んで封殺する戦い方だ。今回の戦いにおいても、俺は徹底的に近接戦闘を嫌い、
奴
の苦手であろう遠距離戦で臨もうとした。だが、失敗した。俺が近距離戦を苦手であることを、他らなぬアンサラも考慮していたのだ。でなければ、初手の『武器とは投げる為にある!』があっさり避けられるはずが無いし、迷わず間合いを詰めようとはしない。
これまでは現実世界の『経験』に『精霊術』が加わったお陰で様々な場面を切り抜けてきた。だが、アンサラに完膚なきまでに敗北し、さらには腕を切断されるという事態。つまり、あのレベルの絶対強者に出会い戦いになれば、多少の差はあれど似たような結果が待ち受けていることの証明だ。
しかし、未来に待ち受けていたかもしれない『結果』と、手元に残っている『結果』には隔てようの無い『差』があった。
この瞬間に俺の腕は繋がっている。失われるはずだった左腕は、失われずに存在している。握ることのできないはずの左手を、力の限りに握りしめることができる。
そう、俺は何も『失っていない』のだ。
四肢が無事であり、再び立ち上がれるのならば後は心の問題。
だったら話は簡単だ。この程度の『敗北』は慣れ親しんでいる。心が折れることなどあり得るはずが無い。
俺が他者に誇れるのはこの『心の在り方』しか無いのだから。
……まぁ、次会ったら殴るが。
ただ、よくよく思い返すとアンサラの行動は『試験官』としては随分と無茶をやらかしたのでは無いか。俺の個人的な感情はともかくとして、だ。
「実力試験で腕ぶったぎるとか明らかにやりすぎだろう……」
練習試合で事前情報無しにいきなり真剣持たされて戦わされたような理不尽さだ。しかも、相手は格上で手加減無しとくる。試験官ってぇのは、受験生に怪我を負わせ無いように最大限の考慮をするのが仕事では無いのか。俺が柔な精神の持ち主だったら、トラウマ抱えて引き篭もりになっているかもしれ無いぞ。まさか他の昇格試験の受験生にも同じような事を仕出かしてるのか? そうだとしたらなんとデンジャラスな特別試験なのだろう。
「擁護するつもりは欠片も無いでござるが、アンサラ殿はアンサラ殿なりに考えがあったとーー」
「考え……ねぇ」
そんなことを考えていると、医務室に婆さんとシナディさんが入室してきた。
婆さんは室内にあった椅子を引っ張り出しそれに座るなり、深々と頭を下げてきた。シナディさんも婆さんと同じく、彼女の背後で腰を折る
「此度の件、本当に申し訳なかった。アンサラの奴を担当に指名した私の偽りようのないミスだ。そのことを深く謝罪する」
俺は婆さんの口から、アンサラが何を思って試験官として逸脱した行為に及んだのか、本人から聞かされた事の真意を説明された。
「……つまり、調子づいていた新人の鼻をへし折りたかったってか?」
「ざっくりとしすぎだが……そんなところだねぇ。本当にざっくりとしすぎだが」
話し終わった婆さんは頭痛を堪えるように眉間を指で押さえながら、深い深い溜息を吐いた。彼女としても、アンサラの行動は予想外だったのだろう。
「あんたにとっては不快だろうが、アンサラの言いたいことも分からんでもないのさ」
「まさか、リーディアル殿はアンサラ殿を庇うのでござるかッ!」
怒りを見せるクロエに、婆さんは首を横に振った。
「もちろん、奴には相応の罰を下す。ただ、若い頃に成功続きの奴は、後に失敗したときほど簡単に潰れるもんだ。私は
この立場
だからね。将来を有望視されながら名を馳せずに消えていった冒険者たちを沢山見てきている。あいつも私ほどじゃないが、似たようなもんだ」
アンサラの行動は許されないが、行動に至った心境だけは理解できると、婆さんはそう言いたいのだろう。
「失敗できるうちに失敗するってぇのも、これはこれで大事な経験だ」
や、俺の場合は失敗の経験数が他の人よりも遥かに多いが、そこに口を突っ込むと良い話が壊れそうなのでやめておく。
「ま、奴の場合は心配よりも好奇心が勝ってたんだろうが。アンタが今回の件で折れるか折れないかね」
「「台無しだな(でござる)!」」
良い話で終わりそうだったのが婆さんの付け足しで最悪になった。俺の心遣いを返して欲しい。
「庇うつもりはないと言ったろうに。あいつは人間観察が趣味でね。そのことを失念していたのが、アンサラに試験担当を依頼した最大の失敗だ」
婆さん曰く、Aランクに到達する人間はどこかしらの感性が一般人とズレている場合が多いとか。そんな中であって、アンサラは実力を有しながら良心を持つ比較的『まとも』な部類に入っており、それを考えて普段は冒険者登録試験の担当官を任せていたのだ。まさか、俺が彼の琴線を刺激するとは、婆さんも立会人を引き受けていたシナディさんも思ってもみなかったのだ。
婆さんからしてみれば、いまいち実力が不明な俺であっても、アンサラなら十二分に対処できるという配慮からでた人選だったのだろうが、今回ばかりは裏目に出てしまった。
や、世の中には何人もの冒険者を再起不能に追いやった(元だが)Aランク冒険者もいるのだ。それに比べれば怪我の保障を事前に用意していたアンサラは確かにマトモな部類に入るだろう。
「どちらにせよ、あんたがこの件で冒険者を辞めちまわないかちょいとだけ心配してたんだが、その様子だと杞憂だったようだね」
「まぁ、腕も無事にくっ付いてるしな」
「その一言で済ませられるのはカンナ氏だけでござるからな? 普通はギルドの人材管理とかそこらへんに関わる大問題でござるからな?」
そこらへんの問題はギルドの内部を取り仕切る婆さんの役目だ。俺はとやかく言うつもりは無い。心の中では全力でぶん殴ることだけは確定している。あとはまぁ、会った時に考えればいい。
気になるアンサラへの処罰ではあるが。
二ヶ月の依頼報酬五割減に、同期間内にAランク依頼の超難関な稀少素材の一定数確保。二ヶ月の間に規定数を確保できなければ三年の冒険者免許の停止で、一年内に同様の罪を犯した場合には永久免停の刑。ついでに、Cランク昇格試験の監督依頼もやはり一年間の禁止だ。
「ギルドとして下せる罰はこれが限度だ。残念なことにAランクの冒険者は不足していてね。仮に除名してもそう簡単に補充できる人材でもないのさ」
「別にええんでねぇの? 痛かったこと以外はこちらに被害はねぇし、結果的には実力試験は合格だったんだろ?」
「……黒狼っこじゃないが、随分と淡白だね。腕切られたのにそんなにけろっとしてる奴は初めて見たよ。もうちょいあるだろう。腕の一本や二本のお返しがあるとか」
「さっきも言ったが、腕もくっついてるしな」
俺はシナディさんのおかげで繋がった左腕をプラプラと振るった。
腕が切断されるほどの大怪我は確かに初めてではあるが、逆にそこまで届かない程度の怪我はそれなりの経験があるのだ。一番酷かった時など、両足と左腕が折れてしばらく寝た切り生活とかあったからな。それに比べれば今の状況は随分と上等だ。
それに、今回は得るものも多かった。感謝ーーは言い過ぎだが、必要以上に彼に罰を望む気持ちは無い。まぁ、殴るが。
「あ、シナディさん。腕の治療、ありがとうございました」
「いえ、それがあの場にいた私の役目でしたので、礼は不要です。それよりも、会場に残ったままの魔術の残滓をどうにかしていただけませんか? あのままですと撤去するまで会場が使用不可能なもので」
「ん…………あ、本当だ。申し訳ない」
俺はパチンと指を鳴らす。これで、特別試験に使用した会場に残っていた氷は残らず消滅したはずだ。や、言われるまですっかり忘れていた。
ーーーーはて、なんか忘れている気がするが……気のせいだろう。
ちなみに、今回の件で慰謝料代わりに金貨十枚に加えて、婆さんのお勧め料理店の無料招待券を頂いた。
別にギルドを
強請
るつもりは無かったが、貰えるものはありがたく貰っておこう。