Kanna no Kanna RAW novel - chapter (85)
第七十八話 たゆん
騒ぎを起こした通りから道を何度か曲がり、十分に離れた時点で俺たちは走るのを止めた。
「ここまで来ればいいか。大丈夫かファイマ?」
「はぁ・・、はぁ・・はぁ・・」
少しからだが火照った程度の俺とは対照的に、ファイマは膝に手を付き肩を上下させながら大きく息を吐き出す。
「…………体力ねぇなお前さん。ちょっと走っただけだぞ?」
「ほ、放っておいて頂戴。あなたと違って肉体労働は担当じゃないの。インドア派なのよ」
「や、単なる運動不足だって」
俺とて特別に体力が秀でている訳ではない。この世界に来てから荒事に直面しているので自然と体力が付いただけだ。
ファイマの呼吸が整うまで待ち、やがて荒かった呼吸がゆったりとしたリズムになると彼女は最後に大きく深呼吸をして顔を上げた。
「改めて。久しぶりね、カンナ。さっきはありがとう。お陰で助かったわ。…………助けてくれた方法にもの申したくはなるけど」
「礼はいらんよ。走っているときの『乳揺れ』は横目でたっぷりと堪能したから」
これだけの大質量を抱えた上で運動不足なのだ。さぞかし疲れているだろう。
「…………私は本当に助けて貰ったのかしら、疑いたくなってきたわ」
「安心しろ。揉むときはちゃんと同意を得た上でしかやらないから」
残念なことに、同意してくれる巨乳さんは滅多にいないのが現状だ。
「…………相変わらずねあなた」
はい、美少女のジト目をいただきました。ありがとうございます。
「でも、実際の所は本当に助かったのよ。さっき私に絡んできた男が本当にしつこくて。魔術で強制的に黙らせようにもこんな町中だから周囲の人にも被害がでちゃうだろうし、逃げようにも今の通りに体力が無いもの、すぐに追いつかれちゃう。いっそのこと、私も『貴族』だって事を明かそうかと思ったけど、そうすると今後は何かと行動が制限されそうだったしね」
ファイマの格好は、一ヶ月前の契約を終えて別れた時と同じく、体全体を覆うような魔術士風のローブを纏っている。整った顔立ちと前方に突き出す胸部の山脈を除けば地味な格好だ。貴族のお嬢さまがお忍びで立ち回るには相応しい格好だが、逆に一見すると貴族の格好では無い。
整った顔立ちに平民という身分の組み合わせは、チャラ男のような貴族の馬鹿息子に取っては格好の『餌』に見えたろうに。
「や、お前さん、護衛はどうした護衛は」
彼女にはこの国に来たとき、雇われ護衛だった俺とレアルの他に、専属従者の三人がいたはずだ。誰か一人でも彼女の周囲を警護していれば、俺が割り込むでもなく速やかに無力化できただろう。女性であるキスカであれば話は別だが、他の男二人なら『男連れ』という事で声をかけられる対象からははずれただろうさ。
指摘してやると、ファイマはサッと視線を逸らした。分かりやすい反応に、今度は俺がジト目になってしまった。
「…………また逃げ出したのか」
「に、逃げた訳じゃないのよ。ほら、四六時中私に張り付いていたら肩が凝るじゃない? あの人たちにだって息を抜く必要もあるだろうし、主としてそれなりの配慮を…………」
「抜くどころか詰まって窒息するぐらいに焦ってるだろうな、今頃」
俺と初めて出会ったときも、野郎数名に囲まれて路地裏に連れ込まれそうになっていた。反省しない奴だ。
ーーーーズビシッ!
「あだッ!? ちょ、いきなり何するのよ!」
俺はファイマの頭を手刀で叩いた。手甲付きなので力を入れなくともそれなりに痛いだろう。ファイマは頭を押さえ涙声で抗議したが、俺は彼女に険しい表情を向けた。
「反省しない我が儘なお嬢様にちょっとした罰だよ」
「うぅ…………私の方が歳上なのに」
「だったら歳上らしくランド達に迷惑を掛けるなっての。アガットの奴、今頃胃に穴が空くくらいに焦ってるだろうさ」
非は全面的に己にあると流石に解っているようで、ファイマは食い下がらずに素直に頷いた。確かに我が儘であるが、物事の道理を正面から受け止められるのがファイマの良いところだな。
「ま、小言はこの程度で良いだろ。ファイマ、これから予定とかあるか? なかったら少し歩かないか?」
「え? ランド達の所に戻るんじゃないの?」
「どうせ叱られる未来が待ってるなら、目一杯息抜きしてから叱られた方が得だろ?」
「あ、叱られるのは確定なんだ…………」
「そのぐらいは抜け出した時点で覚悟してただろうに」
「……………………(サッ)」
どうやら後先考えずに抜け出していたらしい。目の前の物事に集中すると周囲に目がいかなくなるのは相変わらずだな、と俺は一月前と変わらないファイマに安心に似た思いを抱くのだった。
新しい精霊術の使い方の考察に難航し、気分転換に散歩に出たはずなのだが、偶然にファイマと再会したことで彼女とのドラクニル観光に目的が移っていた。ま、精霊術の事を考えていたらいつの間にか非常に下らない事に思考が傾いていたので、そこに時間を割くよりはファイマとデートした方が有意義だろう。少なくとも、巨乳なお姉さんと並んで歩けるだけで非常に嬉しい。ちょっと歩くだけでもたゆんたゆんですよ。眼福です。
「気のせいか、不健全な事を考えてなかった?」
「ざっつらいと」
「…………まぁ、あなたのその残念な所は慣れちゃったから良いけど」
あ、良いんだ(『ざっつらいと』って通じたことに驚く)。よし、だったらもっとグレードアップしてーー。
「程々にしなさいよ?」
「あ、はい。ごめんなさい」
彼女の周囲に漂う魔力が蠢いたのを感じ取り、俺は残念な思考に待ったを掛けた。俺は女性に不快感を与えない紳士なのである。
「はいはい、紳士シンシ。ご立派ね」
「すっげぇ適当だ」
「あなたの冗談に真面目に付き合っていると、際限なく疲れるから」
やれやれ、と首を横に振る彼女だがそこに不快の色はほとんどない。彼女は彼女でこの会話を楽しんでいるようだ。
冗談が混ざった会話を続けながらドラクニルの街並みを進んでいく。一ヶ月ぶりというのもあるが、ファイマとこうした取り留めのない会話を続けていると、まるで同世代との会話をしているようで不思議な居心地の良さを覚えた。
「そう言えばファイマ。お前さん、確かドラクニルには『お勉強』しに来たんだよな。そっちの成果はどうなんだ?」
彼女が護衛を雇ってまで遠く離れたディアガル帝国に足を運んだのは、この国に伝わる独自発展した魔術式を学ぶ為だ。国外に出るために、わざわざ実家の父親にそれまで断固として断ってきた『お見合い』の話を受け入れてまでだ。
それまで楽しげだったファイマの表情が僅かに曇る。
「ちょっと不躾だったか?」
「そんなことは無いわ。でもそうね。歩き話を続けるのも疲れちゃうし、どこかに腰を下ろしましょうか。ここまで来たのは偶然だけど、近くに美味しいお茶を出してくれる喫茶店を知ってるわ」
彼女の案内に従って歩くと、そこは以前にレアルと共に訪れた喫茶店だった。
「ここには良く来るのか?」
「週に一回、あるか無いか程度ね。もちろん、その時は護衛の誰かしらが一緒なのだけれどね」
店の扉を開くと、すぐさま従業員の一人が対応してくれた。
「いらっしゃいませ。お二人様でよろしいでしょうか」
「問題ないわ」
「かしこまりました。ではこちらにーーおや、あなた様は?」
恭しく一礼をした従業員だったが、俺の顔を目にすると反応を見せた。それを見て思い出したが、彼は俺が初めてレアルとこの店を訪れたときに対応してくれた従業員だ。俺と同じく、彼も俺の顔を覚えていたようだ。
「…………ちょっと?」
「あ、申し訳ありませんでした。それでは二名様、ご案内させていただきます」
従業員に案内されて空いた席に座ると、俺は以前に頼んだ茶を頼み、ファイマは俺とは違った銘柄のもの頼んだ。注文を受け取った従業員が下がると、ファイマは意外そうに言った。
「あなたはこんな小洒落たお店よりも、賑やかな店の方を好むと思ってたのだけれど」
「前にレアルと一緒に来たことがあるんだ。あいつがどうやらここの常連らしくてな」
「あら、そうなの。そう言えば、レアルさんはお元気?」
リザードマンやらジェネラルゴブリン相手に無双するぐらいには元気だったぞ。一応、レアル=レグルスなのは秘密なので詳細は教えられなかっが、息災なのは伝えた。ついでに、クロエもBランク昇格試験の最中であることを教えると「頑張ってねって伝えておいて」との言伝を預かった。
そうこうしているうちに注文していたお茶がテーブルにまで運ばれ、二人して一息。相変わらずの美味いお茶で喉を潤してから、ファイマが切り出した。
「何から話せば良いのかちょっと迷うわ。ただ、他人にはあまり聞かせられない類もあるからはぐらかしての話になるけど、それでも良い?」
「ファイマさえ良ければな」
「そう。…………ありがとう」
彼女は、俺たちと別れた後の一ヶ月を語りだしたのだった。