Kanna no Kanna RAW novel - chapter (86)
第七十九話 肘をつくとテーブルの上に巨乳が乗る光景はすばらしいと思います
「改まって言葉にするほどの何かがあった訳じゃないのだけれどね」
ファイマは前置きをしてから語り出した。
この国に来た当初は、異国の文化や見慣れない魔術式の理論を目に色々と有意義な日々を送っていたらしい。留学生が現地の新鮮さに触れて大興奮しているのと同じだな。
そしてドラクニルに来てから一週間後。ようやく当初の興奮が収まり、落ち着いて『調べ物』をするための行動に移ったのだが、これが予想を遙かに越えて難航しているようだ。
「簡単には行かないのは覚悟していたけれど、ここまで成果が少ないとちょっと気が滅入ってくるわ。今日も一応、目に付く古書店を片っ端から回ってるんだけど、やっぱり成果無しだわ」
語り終えると、ファイマは渇いた喉をお茶で潤した。
「ーーーー私からはこの程度ね。あまりお茶請けにしては面白味のない話になっちゃったけど」
「取りあえず、あまりうまく言っていないって事だけは分かった」
具体的に何を調べているのかを一切聞いていないので、この程度にしか答えられなかった。
「聞いてくれただけで助かるわ。この街で気兼ねなく話せるのは多分、護衛の三人を除けば貴方ぐらいだし」
言ってから、ファイマは「うん?」と顎に指を当てた。
「…………というかそもそも。私の周囲でこうして親しく話せる相手なんて貴方以外にいないかしら?」
ぼっち発言が飛び出した。
「貴族繋がりでどこぞのお嬢様とかいるだろう。お茶会とかパーティーとかで話したりしないのか?」
「もちろんその程度はね。けど、大体が家の名を背負ってるから下手なことは言えないわ。何気ない一言が、相手に弱みを握られるような言質になりかねないもの。少なくとも貴方みたいに軽口を叩けるような間柄にはなれないわよ」
貴族が開催するパーティーは社交の場であることが多く、純粋にパーティーを楽しむ事はあまりない。多くの者が、情報交換と新たな『伝手』の確保に大忙しだ。
彩菜の誘いで俺も立食パーティーに参加した時のことを思い出す。
一緒に参加していた美咲と共に全力で『食』を楽しんでいたが、誘ってくれた当の彩菜は招待された他の企業関係者への挨拶回りに忙しそうだった。や、それが一段落したら同じく食に勤しんでいたが。同じく参加していた有月の奴はいつものように、企業のご令嬢に囲まれて言い寄られてたな。危うくR元服なホテルに連れ去られそうになったときは会場から出る寸前で阻止したが。
「それに、貴族のお嬢様って平民の女性以上に面倒くさいのよ。他人の不幸は蜜の味とは言うけれど、あの人たちほどその味を占めている人種はいないでしょうね。少しでも興味の対象があれば、相手の都合なんてお構いなしに根ほり葉ほり、あること無いことを尾ひれを付けて吹聴するんだから」
嫌な思い出があるのか、ファイマはテーブルに肘を突くと表情に苦みが入った。その格好はテーブルの上に胸が乗って非常に絵になる。
「貴族である以上、気の置けない友人を作るのは非常に難しいのよ。別に貴族という立場を放棄したい、とまではいかないけれど、そこら辺に関してだけは平民のあなた達が羨ましいわ」
「平民は平民で色々とあるぞ」
「だから立場を放棄したいとは言わないのよ。私たち貴族は平民の血税によって食べているのだから。これでも感謝しているのよ?」
「ーーーーの割には、以前に酷い暴言を貰ったぞ」
クロエを含む『謎の声』に操られた集団に襲われた時だ。その直前に交わされた会話で、ファイマは平民を明らかに見下す発言をしていた。
「うーん。実際の所はそれほど見下してるわけじゃないの。ただ、初対面の平民に対してはどうしてもああいった態度を取っちゃうのよね。悪気はなかったの。本当よ?」
「…………人見知りを真逆のベクトルに突き抜けた言い分だな」
「当たらずとも遠からずかしら。父の教育の方針がちょっとね。「平民に舐められていては貴族としての威厳が保てない」って。認めた相手には対等な付き合いを、そうでない相手には上下関係をハッキリしろと教えられたわ」
貴族のドロドロとした世界の経験と、親からの教育が妙な感じに混ざり合い、初対面の相手には高圧的という変な人見知りを拗らせた性格が出来上がったのだろうな。こりゃぁ確かに友達は作りづらいだろうさ。
「って、ご免なさい。いつの間にか愚痴ばかり口にしてたわ。聞いててあまり気分のいい話じゃなかったわね」
「いんや。中々におもしろい話を聞かせて貰ったさ」
ファイマという女性の内面を少しばかり知ることが出来て、俺的には満足だった。
「そう? だったら愚痴を聞いて貰ったお礼に、あなたの話を聞かせてほしいわ。何が出来るかは分からないけど、悩みがあるなら相談に乗るわ」
「…………もしかして、俺も悩みがあるように見えるか」
「いえぜんぜん」
いや即答しないでくれよ。人並みに悩みはあるんだが。そんなに悩みとは無念な人生エンジョイ勢に見られているのか?
「けど、その答え方だと何かあるみたいね。解消するかは分からないけど、話すだけ話してみない? 私もそうだったけど、誰かに聞いてもらえるだけでもだいぶ精神的には楽になるわよ」
確かに、彼女の表情は愚痴を吐露する以前よりも雰囲気が明るくなっていた。調べ物に対する成果の無さと、それよりもっと以前から溜め込んでいたものを吐き出せてスッキリしたのだろうな。
彼女の言葉は俺にとってまさに渡りに船だった。
ファイマは魔術に対して深い造詣がある。その上、魔術を科学的にも解析できる柔軟な思考もある。精霊術と魔術は根本的な分野は違うが、それでも彼女だったら良い知恵を貸してくれるかも知れない。
「じゃ、お言葉に甘えて。ファイマ、少しだけ力を貸してほしい」
俺は伸び悩んでいる今の現状を彼女に伝えた。苦しい言い訳だが、氷の精霊術を、田舎の山奥に住まう老婆に教わった特殊な魔術と言い換え(あるいははぐらかして)、ここから先に一歩を踏み出すための方法がないかを訪ねた。
ーーーー精霊術という単語を伝えていないだけで、だいたいが事実だが。
話を聞いていたファイマは俺の扱う『魔術(仮)』の話に、途端に目を輝かせて聞き入った。相変わらず、興味の対象の話になると普段の理性的な雰囲気が豹変するな。
「その老婆がどこの誰なのか、その魔術の理論が非常に気になるけど、断腸の思いで聞かないことにするわ。断腸の思いで!」
二度も言いたくなるほどに聞きたいのを堪えて、ファイマは腕を組んで暫く考え込んだ。まじめに考えてくれるようだ。
「ーーーー目下の課題は、通常空間ではすぐに拡散してしまう『冷気』をどうするかなのよね」
「今のままじゃぁ氷の物理攻撃しかできないからな。純粋に耐久力のある相手に対してもうちょっと効率的な威力を出せる技が欲しい」
単純に攻撃方法を増やしてもアンサラのようなAランク冒険者レベルの手練れに通用するとは思わないが、いきなり効果的な技が生まれるとも思っていない。手が届く範囲から徐々にクリアしていくのが妥当だ。
「…………ちょっと尋ねるけど、私が今から言う内容をクリアできる術式があるなら教えて」
何かを思いついたのか、ファイマは言った。
「ーーーーって具合だけど、出来るかしら?」
「ああ。それだったら」
俺は手甲の内側に仕込んでいた氷結晶を取り出し、テーブルの上に置いた。
「こいつは一見すれば単なる氷だが、強い衝撃が加わると氷の防壁を展開して装着している部位を保護してくれる」
俺の簡単な説明を受けると、ファイマは驚きと呆れが混ざったため息を吐き出した。
「…………相変わらず驚かされるわね。魔力で生み出された物体は、魔力を失えば数少ない例外を除けばすぐに消滅してしまうのに。しかも、触媒もなく特定の効果を宿したままなんて、熟練の魔術士でも至難の業よ? それを当たり前のように…………」
そりゃ魔術じゃないしな、とは口にしない。
魔術は現象を術式を用いて疑似的に世界に具現化しているのに対して、精霊術は司る精霊を通じて現象を真実として世界に具現化する。
砂場に書いた絵は風ですぐに消え去るが、岩場に刻み込んだ文字は容易くは消えない。前者を魔術、後者を精霊術と考えれば分かりやすいか。
「でも、これなら私の考えた方法が試せるかもしれないわ」
そして彼女は、氷結晶の存在を元に俺も目から鱗の方法を口にしたのだった。
「ーーーーどうかしら。これなら少なくとも『冷気を戦闘に活用する』というお題に限ればクリアできたんじゃない?」
「や、流石としか言いようがない」
俺がこの数日間にさんざん悩んでいた課題を、話を聞いた数分で答えを導き出してしまったのだ。
「助かったぜファイマ。今日お前さんに会えたのは間違い無く幸運だ」
「お役に立てたのなら幸いね」
ーーーー後に知る。
幸運と不運は紙一重。
俺のこのとき感じた幸運は、先に待つ面倒事の駄賃であったのだと。