Kanna no Kanna RAW novel - chapter (87)
第八十話 「ていッ」→『ぐしゃっ!』
茶飲み話のたけなわも過ぎ去り、俺たちは喫茶店を後にした。
空に若干の夕色が混ざりだし、昼と夜の境目な頃合いに突入していた。
「そろそろ帰るわ。これ以上遅くなるとランドの雷が怖いもの」
帰りを待つランドの怒り顔を想像してたのか、ファイマは苦笑した。一人で足早に去ろうとする彼女の背中に、俺は待ったを掛ける。
「送ってく。お嬢様一人を夕暮れの町中を歩かせるのも危ないしな」
「あら、あなたにしては紳士的な言葉ね」
「俺ほど紳士を体現している野郎はいないだろうな。…………ま、冗談はさておき、初めて会ったときのこともあるしな。さっきも妙な野郎に絡まれてたし、心配っちゃぁ心配なんだよ」
「最後の一言だけで済ませてくれれば格好良かったんだけど。けどありがとう。ではエスコートを願い出来るかしら?」
「喜んで、お嬢様」
三文芝居のようなやり取りをし、俺たちは笑いあった。
昼間よりは寂しく、だがそれでも活気を保ったドラクニルの道を二人並んで歩く。
周囲は未だに騒がしくとも、俺は不思議と祭りの後にも似た寂寥感を感じていた。おそらく、ファイマとの会話が当初に思っていたよりも楽しかったからだろう。
「…………ねぇカンナ」
前触れもなくファイマが切り出すと、彼女は寂しそうな笑みを浮かべていた。
「前に専属護衛の契約を持ちかけたじゃない。改めて聞くけど、受ける気はない?」
そう言えば、そんな話もあったな。
「ランド達の護衛だけじゃ不満か?」
「そんなことはないわ。彼らにはいつも助けられてるし、それが彼らの役割であったとしても感謝してる。だけど、やっぱりあなたもその一員になってくれたらって、今日話をして改めて思ったの」
「あいにくと、俺ほど貴族様の礼儀を弁えてない奴もいないと思うぜ」
先日受けた貴族講習の内容は既に八割ほど忘れている。辛うじて有力貴族の家名を数個覚えているだけだ。そんな俺に、貴族ご令嬢の護衛など務まるとは到底思えなかった。
「あなたに礼儀を求めるなんて贅沢は言わないわ。ただ、今日みたいにフラッと街に繰り出して、他愛もない話に花を咲かせて、ゆっくりとお茶が飲めたらとても楽しそうだなって」
祭りの後の寂寥感を、ファイマも同じく感じていたのか。ここ数時間の楽しさを思い出すように遠くを見るような目になった。
「初対面の人に傲慢な態度を取っちゃうのは、別にそれで嫌われても構わないって、頭の片隅で諦めていたんでしょうね。別に私個人が嫌われようが好かれようが、相手が見ているのは私ではなく私の持つ家名だもの」
自分を偽って人と無理に交流を重ねるよりは、魔術理論の調べ物をしていた方が遙かに楽しい。彼女は自嘲気味に言う。
何となくだが、彼女が求めているのが『護衛』では無いことを、俺は悟った。
「家族や護衛達を除いて、『私』を貴族のお嬢様としてではなく、『ファイマ』という一個人で見てくれたのは、覚えている限りではあなたが初めてよ。だからでしょうね。あなたとの話がこんなに楽しいと思えたのは。打算も無く、見栄もなく、つまらない意地すらない語り合いなんて、いつぶりかしら」
大袈裟な、とはとても口には出来なかった。今日聞いた限りでも、彼女の家はかなり格式が高く実質的な力も強い。その血縁者だけあり、ファイマを通じて背後の家に取り入ろうとする輩が後を絶たないだろう。そう言った環境の中で、気の許せる友人を作るのがいかに困難か。
彩菜の事を知っているだけに、想像もできる。知り合った当初など、彩菜が気を許せる相手は親友である美咲だけだったしな。
「別に、四六時中張り付いて欲しいとは思わないわ。普段は自由に過ごして貰っても構わないわ。けど、お願いした時だけでもいいの。こうして一緒に、貴族の娘であるファイマじゃなく、タダのファイマとして話してくれればそれでいい」
「護衛の勧誘ってぇ割には随分と微笑ましい契約内容だな」
もはやそれは護衛ではなく、普通のお茶会の誘いだ。
「で、どう?」
ちらっとだけだが、彼女の専属護衛になってもいいかな?と頭の片隅で考えもした。だが、彼女が真実に求めているのは『契約』という繋がりではなく、もっと『曖昧』なものだ。
おそらく、妙なボッチが長引きすぎて、普通の子供なら誰もが思い至る発想に行き着かないのだ。
さて、どう伝えたものかと俺は考えを巡らせるが、その答えがでる前に少々事態が急変することとなった。
「いたぞ、あそこだッ!」
喧噪を保つ人通りの多いなかで、一際大きな声が聞こえた。それから少し遅れて、複数の地面を蹴る足音が徐々に近づいてくる。
はて、どこかで聞いたことのある声だ。しかも最近。
同じことを思ったのか、ファイマも「ん?」という表情になり、俺たちは顔を見合わせた。そして、揃って声がした方向へと振り向いた。
見れば、数時間前に俺が『這い寄るジャーマンスープレックス』で沈めたチャラ男貴族ではないか。そいつが、背後に『肉体労働万歳』な体格をした野郎を複数引き連れてこちらに走り寄って来る。
「おい、そこの女! よくも俺を虚仮にしてくれたな!」
と、チャラ男が走りながらこちらを指さしてくる。かなりご立腹な様子だ。ファイマは「うわぁ…………」と表情筋をひきつらせた。どうやら、気絶から回復してからずっと彼女のことを捜していたらしい。手下まで引き連れてだ。
とりあえず。
「ていッ」
----グシャッ。
「へぶあぁッ!?」
体はほぼ自然体のまま、速攻で作った氷の礫を親指だけを使って弾き飛ばし、向かってくるチャラ男の鼻面にぶち込んだ。何が起こったのか、チャラ男には理解できなかったろう。突然の衝撃と激痛に先頭を走っていた彼は派手に転倒し、後ろに続く肉体労働派達も巻き込まれる形で転んだ。
「----えぇぇぇ…………」
何が起こったのかを理解できたファイマがどん引いた表情で声を上げた。常識的に考えれば彼女の反応は当然だろう。が、俺はそんな彼女の手を引っ張る。
「ほれ、さっさと逃げる」
「…………いいのかしら?」
ファイマは血を流す鼻を押さえて悶えているチャラ男に、気の毒そうな視線を送る。さらに言えば、後続の肉体派達に蹴られてしっちゃかめっちゃかになっている。既に彼のHPは半減気味だ。
目論見の通り、先手はしっかりと取れた。
「とてもじゃ無いが、既に「お茶でもしましょう」って雰囲気じゃねぇだろ。話をする前に路地裏に連れ込まれてお子さま御法度のぬるねちょにゃんにゃんシーンに突入だ。なら、逃げるしかないだろ」
ぬるねちょにゃんにゃんシーンの意味は分からなかったろうが、路地裏のくだりで俺が言わんとしていることは察しただろう。それでも彼女は咎めるように言った。
「多分、彼が怒っている理由の半分近くはあなたが原因だと思うのだけれど」
「カッとせず冷静にやったが、後悔は微塵もない」
「…………あなたがそう言ったことに躊躇いが無い人間だったというのを失念していたわ。護衛に誘おうとしたのは失敗だったのかもしれないわね。逃げることには同意するけど」
安心しろ。まだ専属護衛を引き受けるとは言っていない。
それはともかく、俺たちは本日二度目の逃走劇を開始した。
走り出してから背後をちらりと振り返ると、チャラ男の転倒に巻き込まれなかった肉体派の数名が追いかけてくるのが見えた。さらにその背後では鼻を手で押さえながら痛みに涙するチャラ男がこちらを指さしながらなにやら叫んでいた。多分「追いかけろダボども!」とでも喚き散らしているのだろうな。
「似たような事を言っているのだろうけど「ダボども」はどこから?」
「俺の脳内変換」
「聞いた私が悪かったわ」
どういう意味やねん。と、緊張感の欠片もないやり取りだ。
さて、夕暮れの逃走を繰り広げるのに、いささかの問題を俺は見逃していた。
まず、立派な逃走経路を構築できるほど俺はドラクニルの地理に詳しくはなかった。現在の滞在先である宿と冒険者ギルドの周辺地域ならば把握しているのだが、この付近の区画はたまにしか来ないので土地勘がまだ疎い。
この程度ならまだ問題はない。修学旅行の滞在先で、有月の奴が地元の不良学生に絡まれた流れから始まった大逃走劇に比べればぬるいぬるい。原因は不良校の番格と付き合っていた女が有月のイケメン度に酔って言い寄り、ぷっつんした番格が有月をシメようとしたのだ。ちなみに俺は、他の友人と売店で売ってる木刀で二刀流ごっこしてたら、逃げている最中の有月が泣きついてきて巻き込まれたのだ。最終的には番格を罠にハメた後、身包みを剥いだ全裸姿をスマホに激写し、これ以上迷惑かけてくるなら世界的な動画サイトにぶっ込むと脅して騒動は集結した。
閑話休題だな。
問題だったのがファイマの貧弱さだった。
「や、だからお前さん、体力無さ過ぎるだろ」
逃走劇開始から五分ほどの経過で、ファイマの体力はスッカラカンになっていた。逃げ込んだ路地裏の壁に背中を預け、俺の言葉に返事も出来ないほどに息を乱していた。
隣を走る彼女の様子から既に限界が近いのを察した俺は、咄嗟に近くにあった脇道に入り込んだ。幸いなのは、ここに逃げ込んでもすぐにはチャラ男の配下達が追いかけてこなかったことだ。運良く、人混みに紛れて俺たちの姿を見失っていたのだろう。
加えて、この路地裏は俺たちが入ってきた側とは反対側に出口が離れた地点に見えていた。慣れない土地で下手に路地裏に突入すると袋小路に行き着いて追い詰められる事もあるからな。
ただ、逃げ道が明確に存在していても、彼女はそこに逃げ込む前に力尽きるだろうな。願わくば、奴らが俺たちのことを諦めて撤収してくれることなのだが、やはり問屋がそうは卸さないらしい。
俺が路地に入り込んだ側の方から人の声が聞こえてきた。続けて響く駆け足の音。少しすると肉体派を引き連れたチャラ男が再び姿を現した。
ファイマの方をもう一度見るが、すぐに走れそうなほどには体力が回復していない。無理に走ってもすぐに追いつかれてしまうだろう。
相手がタダの一般市民なら、ここらで精霊術をしこたまぶち込んで返り討ちにするのだが、チャラ男はどうにも貴族の息子らしい。面と向かって実力行使にでるのは、騒ぎをさらに大きくする結果になる。
権力者を相手に喧嘩を売るには、顔を見られずに一撃で沈めるか、それ以上の権力を味方に付けて派手に叩き潰すのが後始末が楽な方法なのだ。ファイマも貴族のお嬢様ではあるが、この国からすれば他国の貴族だ。彼女の家の力がどこまで頼りになるかは不安が残るし、些細な問題から国家間の仲が悪化する外交問題に発展する可能性も否定できない。それが分かっているから、ファイマもチャラ男が最初に絡んできたときに必要以上に家名を出すことを躊躇ったのだ。
下手な
物理技
が出来ない以上、逃げの一手を選ぶのが最善なのだが、やはり問題はファイマの体力が逃亡できるほどに残っていないと言うことだ。
ぶっちゃけ、アイスボードを使えたら彼女も乗せて一気に速度を稼げるのだが、あれは小回りが利かずに町中で使うと交通事故紛いの大惨事が起きかねない。路地裏から飛び出た途端に通行人と衝突したら目も当てられない。
と、そこまで考えてから、ようやく俺は自分の手札を思い出した。
「ファイマ。三秒で決めろ。おんぶかお姫様だっこ。どっちがいい?」
「はぁ…………はぁ……。…………お姫様だっこ」
急かす意味で「三秒」と言ったのだが、ファイマは息を切らせつつきっかり三秒で答えた。俺が何かをするのだと表情から読みとったのだろうな。覚悟を決めた表情でうなずいた。
「んじゃ本日初公開の新技だ」
俺はまず、己の手甲、肘、膝と靴の裏に氷を具現して張り付けた。今回の技の肝は足裏だ。両足の氷は地面に対して垂直になるようなブレード状になっており、かなりの鋭さを持っている。切れ味も相応だが、この刃の用途は攻撃用ではなく別にある。
「ちょいと失礼するぜ、お嬢様」
「お、お手柔らかにね」
俺は手を差し出すと、彼女はおそるおそるといった具合に身を預けた。手甲に張り付けた氷を精霊術で制御し腕力の足しにする。お陰で人間一人を腕だけで抱えてもそれほど腕には負担がかからなかった。それ以前に、ファイマの体重はかなり軽い。大質量を胸に二つ持っているのに驚きの軽量級だ。
チャラ男達は既に目前にまで迫っていた。後数秒もしないうちに俺たちのいる場所にまで到達するだろう。
「んじゃ、落ちないようにしっかり捕まってろよ」
俺の確認にファイマはしっかりと頷き、俺の首回りに両腕を回すとしっかりと抱きついてきた。彼女の体が固定できたのを確認すると、俺はチャラ男達に一度だけ振り返り。
「あばよと○つぁん」
どこぞの怪盗三世のような捨て台詞を残し、俺は勢いよく地面を蹴った。足の刃が地面と擦過し『ギャリンッ!』と甲高い音を立てる。そのままファイマを抱えた俺の体は前方に向けてぐんぐん加速していく。
俺が急加速し事にチャラ男達が驚く気配を背中に感じながら、俺たちは路地裏への奥へと突き進んでいく。
名を付けるなら『キックブレード』だろう。原理はアイスボードの時とほとんど同じだ。これこそが、俺がここ数日で開発した技である。
「相変わらず、魔術を器用に使うわねッ!?」
「お褒めに与り光栄だな」
驚きと感心が半々なファイマに、俺は笑ってやった。
路地裏から飛び出て表通りに入ると、俺は少しだけ速度を落とし、それでも十分な速度で人混みの中を縫うように走り抜ける。
身体能力が『並み』の俺は、格上の相手には距離をとって遠距離から精霊術を放つスタイルになる。だが、アンサラほどの手練れともなるといかに距離を稼ごうにも技量差がありすぎて、強引に距離を潰されて接近戦に持ち込まされる。逆に、遠距離主体の相手の場合はそのまま距離を詰めれば活路を見いだせるかもしれないが、何にしても機動力の改善が必要なのは明白だった。
そこで、出来上がったのがこのキックブレード。アイスボードと比べると最高速では劣るが、両足の
氷刃
と体の各部に貼り付けた氷を器用に制御することで高い小回り性能を獲得。さらに、僅かばかりの力が加われば一気に加速することが可能であり、緊急回避にもかなり役に立つ。さすがにゼロからトップスピードに行くのは無理だが、一からトップスピードの手前まで行くことができたら十分すぎるだろう。
ちなみに、満足な制御ができるまでまる二日ほど派手な転倒を繰り返した経験があったりする。生傷を大量に作っただけあり、人混みの中でもスイスイと進むことができる。すれ違う誰もが驚く表情を見せたが、かなりの速度で通り過ぎるのでそれほど顔は覚えられていないだろう。
キックブレードの走行が安定したことに落ち着きを取りもどしたようで、首に回っていたファイマの腕から力が抜け、代わりに彼女は楽しそうな笑みを浮かべていた。
「ふふふふ、あなたといると退屈しないわね。なおさら護衛に欲しくなるわ」
「別に護衛としてじゃなくても、暇な時があれば付き合ってやるよ」
そう言うと、彼女は「え?」と俺の顔を見た。きょとんとなっているそんな彼女が可笑しくて、俺は彼女に目だけを向けて笑ってやった。
「別に『友達』と会うのに理由なんか必要ないだろ?」
彼女を抱きかかえたまま、俺は夕暮れ時の町を走り抜けるのだった。