Kanna no Kanna RAW novel - chapter (88)
第八十一話 チクチクします
チャラ男達から距離を離し、十分に撒いたと判断できた時点で手近な路地裏に入り込み、キックブレードを解除してファイマを下ろした。
「このまま宿まで連れていってくれれば良かったのに」
「お前さんが寝泊まりしてるのって、貴族御用達の高級宿だろ? そこにキックブレードのまま乗り付けたら悪目立ちするだろうさ」
「十分に目立ってると思うのだけれど…………」
「日常のちょっとしたスパイスって事ですぐに忘れ去られるさ」
それに、俺の顔は丁度抱き抱えていたファイマの体(というか豊かな胸)で隠れていてそれほど人の目には入っていなかったろう。むしろファイマこそが目立っていたかもしれないが、そこはあえて触れないでおこう。
奇しくもファイマの宿泊先はここからそれほど離れていなかったようで、歩いて十分もすれば中々に豪華な外見の宿正面に到着した。
果たして一泊いくら貨幣が飛ぶのだろうか。ちなみに俺の宿泊先は一ヶ月で金貨一枚。一日では銅貨が三枚と鉄貨が少しぐらいだ。この高級宿は最低でも一日銀貨一枚は掛かりそうだな。
「これまた随分と高そうな宿だこと」
「そうでもないわ。一泊で銀貨三と少し程度だもの」
俺の予想の三倍だった。一ヶ月で金貨十枚近く。日本円で百万円近い。ちょっとした高級ホテルだな。さすがはお嬢様。金銭感覚が平民とはちょいとずれてらっしゃる。
「そう言えば。ほれ、俺の宿泊先の住所だ」
俺は住所が書かれた紙片を彼女に渡した。携帯電話等の遠距離連絡の手段が限られているこの世界で、紙媒体はかなり重要な情報源だ。念のために、宿泊先の住所を記した紙を常備しているのだ。
「俺に用があったらここか冒険者ギルドの方に顔を出してくれ。そうさな、ギルドに行ったときはシナディさんって名前の受付に聞けば、俺の方に話が回るから」
最近、あの人は俺の担当で固定され始めている。間違いなくリーディアル婆さんからの命令だろうな。
ファイマは俺から紙を受け取ると『にへら…………』と普段の理性的な雰囲気はどこへ行ったのか問いただしたくなるぐらいの表情になった。
譫言
のように「友達、私に友達が…………」と繰り返している。どこまでボッチを拗らせてたんだこのお嬢様は。
あるいはここまで娘を放置していた親に物申したくなってくる。せめて彼女が気兼ねなく本心を話せるような相手を見繕ってやっても良かったろうに。最初は強制でも、そこから始まる偽りのない友情というのも間違いなく存在している。美咲と彩菜が良い例だ。あいつ等は親の繋がりから始まった友人関係だが、今では一番の親友同士だしな。
「お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!!!!!!!」
闇に包まれ始めた街並みに轟く絶叫じみた声。あまりの大声にファイマはビクリと肩を震わせ、俺もわずかに背筋がヒキツった。駆け寄ってくる足音が聞こえるが、今度はチャラ男ではなく知った三つの顔だった。
ファイマの護衛三人だ。ランドを先頭にその両脇後ろにアガットとキスカの二人が追走している。
「さて、俺はこれで失礼するぜい」
「え? ランド達と少しくらい話していかないの?」
「脱走したお嬢様をそのまま連れ回したとあっちゃぁ、俺までランドのおっさんに叱られそうだからな」
俺の言葉で、ファイマは己が彼らの元から抜け出していた事実を今更のように思い出し、顔を蒼白とさせた。額から汗がたらりと流れ落ちる。
「諦めてしっかり怒られてきな」
「うぅぅ…………。自業自得とは言え、気が重いわ…………」
肩をがっくりと落としたファイマが細く言葉を貰した。俺はそんな彼女の頭をポンッと叩いてから、この場から離れようと踵を返した。
その時だ。
ランド達が走り寄ってくるとは丁度対面の方向から、人通りの少なくなった夜道に響く多人数の駆け足の音が近づいてきた。まさかチャラ男がここまで追ってきたのか。ファイマの滞在先に殴り込み、とかになったらさすがに彼女も貴族の身分を明かさないと収拾がつかないだろう。
喧嘩の最中に相手の口上を潰すのは割と得意だが、理論整然と相手を言いくるめるのは苦手だ。ここは人生経験の豊富そうなランドに任せておくべきだろうな。
だが、俺の予想に反して姿を現したのは、チャラ男が引き連れていたような『肉体労働万歳』と言うよりは『常住戦場万歳』な感じに鎧を纏い、槍を携えた集団だった。
さらにさらに、そいつ等はどうしたわけか俺のそばに走り寄ると足を止め、険しい表情を浮かべ無言で俺を包囲する形に陣形を取ったではないか。
「……………………ほ?」
予想外すぎる展開に呆然とする俺を余所に、鎧姿達は槍の先端を包囲の中心地にいる俺に向けてくる。完全に臨戦態勢だ。殺意とまでは届かないが、それに近しい気配が穂先からビンビンに伝わってくる。
や、現実世界で不良どもに囲まれたことはあったが、警察官にピストル向けられて包囲された経験はさすがにない。なぜ警察を引き合いに出したかと言えば、俺を包囲する者達の鎧には『刻印』があったからだ。
彼らがディアガル帝国軍であると証明するための『紋章』だ。
すぐに分かったのは、正規軍の紋章は左胸に、所属する騎士団の紋章は二の腕に刻印するのがディアガル帝国軍の鎧の基本だと先日の貴族対策の講習で習ったのを覚えていたからだ。
「…………や、これは何かの誤解ーーーー」
とりあえず何かしらを口にして一歩踏み出したのだが。
ーーーーザッ!
「……………………おーけーおーけー。反撃はしないから落ち着け。だから背中をちくちくしないでくれ怖いからいやマジで」
俺が動き出した瞬間、寸分も乱れぬ動きで包囲網が狭まり、向けられた槍が体に届く一歩手前まで迫っていた。つーか背中にいたっては少し触れてる。俺は両手を上げ、降参の意を体現した。
さすがにここで反撃に出るのが最悪の一手だと判断できた。
「か、カンナッッ!? 貴方達何をやっているの!?」
首だけ振り返ると、血相を変えたファイマがこちらに走り寄ろうとする。俺を包囲している帝国軍人達に向けて怒鳴ろうとしたところで、彼女の腕をアガットが掴んで引き留めた。
「アガット離して! カンナがッ!」
「なりませんお嬢様! この場でお嬢様が下手に庇えば、余計に奴の立場が悪くなります。ここは堪えてください!」
「そんなッ! 彼は私に付き合ってくれただけで後ろめたいことは何一つしていないわ! カンナが悪い人間でないことは貴方も知っているでしょ!」
「…………俺としても奴が悪人でないのは承知しています。ですが、個人的な見解をそのまますぐにこの国の人間に信じろ、というのは無理があります」
「ーーーーッッ」
ファイマは唇を噛んで言葉を噤んだ。アガットの口にした道理に間違いがないのが明白だったからだ。キスカはそんな彼女を抱くようにして引き寄せると、落ち着かせるように肩を叩く。
和やかな雰囲気から一変した緊張下で、包囲に加わっていなかった正規軍の一人がファイマ達の方に近づいていく。他の軍人達とは鎧の形状が少し異なる。隊長格かそれに近しい人物なのだろう。
ランドは近づいてくる彼に対して一歩踏み出した。
「…………ご協力感謝いたします。お陰でファイマ様の無事を確認できました」
「そちらのご令嬢が無事で何よりだ。我らとしても胸を撫で下ろしている」
撫で下ろしてるならついでに槍も下ろしてくれませんかね。ていうか背中の奴の槍が本当にちょっと刺さってる。新事実発覚。反応氷結界はじわりじわりと刺されると反応が遅れるらしい。ありがとよ背中の人。感謝の代わりに顔覚えたからな。
「見たところ、そちらはお嬢さんを連れ回した『狼藉者』と知り合いのようだが?」
「ええ。今は契約が切れていますが、ファイマ様をこの国にお連れする際に雇った護衛です。旅の途中で彼には本当に世話になったものです」
狼藉者呼ばわりにイラっとするが、顔に出さない程度の自制心は俺にもあった。ランドも俺がファイマに危害を加えたとは思っていないようで、直接的ではないが言外に俺が安全であると隊長格に伝える。
「…………だが、これまでが『
安全
』だったとは言え、これからも『
信頼できる
』とは言えないだろう。彼女の護衛だったという話も契約が切れている以上は過去の話。この男にお嬢さんの安全を保障する義理はない。今回手を出さなかったのは、我らやあなた方を油断させるための演技とも限らん」
「それは…………そうですが」
「貴殿の言葉を疑っているわけではない。ただこちらとしても立場上、この男を無罪放免と即決して解放するわけにはいかないのだ。ご理解願いたい」
「…………勿論、そちらの立場は理解しています」
話の内容からすると、俺はどうやらファイマお嬢様に不届きを働いた狼藉者として認識されているようだ。で、俺を包囲している正規軍もファイマお嬢様の捜索に駆り出されていた、と。
お嬢様のちょっとしたお茶目…………と思いきや、どうやらファイマの脱走(と称しておこう)はかなりの重大問題だったようだ。
…………いや、ちょっと待て。さすがにここまでの騒動になると予想していたら、いくらファイマでも窮屈な思いを我慢しいろいろと自重していたはずだ。アガットとのやり取りを聞くと、帝国軍まで出張ってくるとは彼女も予想外だったのか?
ランドに眼を向けると、俺の視線に気が付いた彼は険しい表情のまま首を横に振った。現時点ではこれと言った対処ができないか。
隊長格の男が俺に向けて言う。
「話は聞いていたな、そこの男。悪いが警邏の駐屯所にまで来てもらおうか。尋問室にて話を聞かせてもらう」
「…………いろいろと言い訳はさせて貰えるんだろうな」
「おまえの態度次第…………とだけは言っておこう。下手な気を起こさない限り、こちらから必要以上に手を出すつもりはない」
彼の声色から特に感情の波は感じられない。どこまでも実直な態度だ。先ほどの口振りからするに、俺に対する個人的感情は皆無であり職務に忠実であろうとする姿勢のようだ。
はぁ、と息を吐き出し俺は強ばっていた肩を落とした。何がどうあれ、この場は素直に従うほか無いだろう。
俺は最後に、ファイマの方を向いた。彼女は涙すら流しそうなほどに表情を崩し、悲痛に叫ぶ。
「ごめんなさいカンナッ! わ、私ッ、こんな事になるなんて思ってなくてッ!」
俺は笑いながら片手をプラプラと振った。自責の念に駆られている彼女はグッと言葉を飲み込むように堪えた。俺が彼女に求めているのが謝罪などではないのだと伝わったからだろう。お前さんの『力』は又後で借りることになるだろうさ。
さて、元の世界でもさすがに留置所の世話になった経験はないか。快適な一夜を明かせる程度に整った環境であるのを願うばかりだな。
夜天に輝き始めた星を見上げ、俺は帝国軍人に囲まれる形で連行されるのであった。