Kanna no Kanna RAW novel - chapter (89)
第八十二話 頭◯きから始まるコミュニケーション
尋問室でカツ丼は出なかった。そもそも豚カツとかあるのかこの世界。いろいろな肉料理は食べているが『豚肉』と自信を持って言える肉に俺はまだたどり着いていない。そして『米』もだ。幻想世界での食生活はぶっちゃけ元の世界の時よりも(味の面で)充実しているが、時折に日本の家庭料理が恋しくなるのは無理からぬ事だろう。
軽い事情聴取は受けたものの、やはりその時点で俺の無実は確定せずに、俺はしばらくの間を警邏駐屯所の牢屋で過ごすこととなった。聴取の内容はありのままをほぼ忠実に説明したが、ファイマに絡んでいた男は貴族の子息ではなくタダの頭の中身が軽いチャラ男、と言うことにした。細部まで話したら、ファイマを連れ回した以前の問題に、貴族に狼藉を働いたという点では明らかに有罪だからだ。ん? するとあの隊長格が『狼藉者』と呼んでいたのはそれほど的外れではないか? や、機会があるまで真実を口にするつもりはないので問題はない。
さて、帝国軍人の一団は俺の事情聴取が終わると撤退していき、俺はこの駐在所に勤めている警邏の案内で、地下に作られた牢屋へと押し込められた。
定期的に掃除がされているのか、思っていたよりかは清潔な環境だ。広さも『牢屋』と呼ぶには中々に広い。ただ、寝床の代わりに部屋の隅に重なった肌触りの悪そうな布。明かりも最低限しかなく、長時間を本を読んでいたら眼が悪くなりそうだ。
そんな牢屋の中には、俺よりも先に既に先客がいた。
顔の半分に厳つい入れ墨を彫り込んだ『893』なお兄さんだ。俺が牢屋に入れられるなり、仰向けに寝転がったままだが鋭い視線をこちらに向けてきた。
「…………チェンジで」
「黙ってさっさと入れ」
俺の願いは無情にも切り捨てられ、牢屋の扉を施錠した警邏はさっさと地上への階段を昇って行った。
取り残された俺と『893』なお兄さん。とてもではないが寝床をともにしたい組み合わせではない。牢屋のチェンジが無理なら人員のチェンジを願いたい。できれば胸の豊かなポニーテイルお姉さんとか。
俺がゲンナリとしていると入れ墨兄ちゃんはのそりと立ち上がった。彼はおもむろに俺に歩み寄ると、何ら前触れもなく俺の胸ぐらを掴み上げた。
「悪いな。今無一文なんだわ。少しばかり俺にお小遣いを(グシャッ!)」
『前口上とは潰すためにある』の再来だ。
胸ぐらを掴まれた俺は、すぐさまこちらからも胸ぐらを掴み返し、威圧感を演出している入れ墨の鼻面に躊躇なく頭突きをたたき込んだ。
「へぶぁッ!!」
ふむ、声は違うが似たような悲鳴はごく最近にも聞いたな。ま、それはともかくとして、いろいろと下準備が必要なのは間違いないな。
頭突きを食らった入れ墨は思わず俺の胸ぐらから手を離し、後ずさり。まだ脳が痛みを処理しきれずに混乱している間に、俺は足払いを掛けて転倒させる。よろめいて体勢がガタガタになっていた体は驚くほどに簡単に倒れ込んだ。俺は登場シーンの時と同じように仰向けになった入れ墨の体に跨がる、
マウントポジション、完成である。
「て、てめぇ! いきなり何をーーーー」
グシャリ。
「こ、このッ! 俺を誰だと思ってーーーー」
グシャリ。
「ちょ、まッ、人の話をーーーー」
グシャリ。
「ひッ、た、頼む。話をーーーー」
グシャリ。
………………………………。
そこから。入れ墨が何かを口にする都度に、俺は無言で頭突きを叩き込んだ。男の瞳から反抗的な感情の色が徐々に薄くなると、俺は鼻血で顔を赤く染めた男の胸面を掴み上げ、淡々と口にした。
「俺はおまえに何もやっていない」
「かはッ…………。な、何を言って」
「おまえか勝手に壁に顔をぶつけて鼻血を出しただけ。俺はおまえに怪我の一つもさせちゃいない。分かったか?」
「………………………………」
俺はもう一度、頭突きを食らわせようと頭を振りかぶる。
「わ、分かった! 分かったからもうやめてくれ!」
「…………やめてくれ?」
「い、いえ! お願いします! もうやめてください! 二度と生意気な口は聞きませんから!」
「うむ、素直でよろしい」
俺はにっこりと笑顔で頷いてやると、入れ墨の顔は血塗れであるはずなのに蒼白となりながら、壊れた人形のようにガクガクと首を上下させた。どうやら俺のエンジェルなスマイルに圧倒されたらしい。
見た目は『893』だが、雰囲気的に入れ墨が木っ端不良であることはすぐに分かった。
筋金入りのアウトローならともかく、なんちゃって不良なら上下関係をしっかり叩き込めば従順になる。初対面でいきなり人の胸ぐらを掴んでくるような輩なら、出会い頭のパチキがもっとも効果的。後は辛抱強く、ねばり強く『
肉体言語
』を重ねればあら不思議、舎弟の完成である。
俺の額や男の顔を染める血液は、毛布代わりの肌触り最悪な布で拭き取り、ついでに壁の適当な位置に擦り付けておく。これで第三者がこの現場をみれば『入れ墨男が壁に顔面をぶつけた』という状況になる。
そう、俺は何もしていないのである。
これで、少なくとも快適な牢屋ライフを送るための下地は整えられたか。
「んで、入れ墨。おまえさんは何をやらかしてこんな場所にいるんだ?」
快適牢屋ライフの条件の一つ『同居人とは
仲良く
しよう』を達成した俺は、暇つぶしのためにそんなこと訪ねた。
「えっと…………あの、足が痛いんですが…………」
腕を組んで立つ俺の正面には、慣れない人には苦行にしかならない日本特有の座り作法『SEIZA』をしている入れ墨。最初の威圧感たっぷりの様子はどこへやら、生まれたばかりの子鹿よろしくプルプルと、膝下から伝わってくる痛みに悶えていた。柔らかい畳ならともかく、石造りの床に正座なぞしたらそりゃ痛いだろうよ。させてるのは俺だが。
「誰が口答えしていいと? 余計なこといっとらんで質問に答えろ」
「へ、へいッ! 了解しました!」
少しだけ声に冷徹を乗せると、入れ墨は跳ねるように背筋をぴんっとのばすし、彼自身の経緯を語り出した。
とは言っても大した話ではない。何でも、入れ墨はとある貴族の息子に従っている不良グループの一味らしい。リーダーである貴族の息子に恥を掻かせた赤髪ポニーテイルの女を捜すために召集され、街にグループ総出で繰り出したのだ。だが女は見つかりはしたが協力者がいたようで結局は捕まらず、チャラ男からはこってりと叱られた。そしていろいろと責任の擦り付け合いにから始まる大乱闘。最後には騒ぎを聞きつけた警邏が押し寄せ、他の面子が逃げおおせる中運悪く入れ墨は捕まってしまったと。
…………すごく覚えのある内容だなおい。
牢屋に入れられたのは、俺が来るのとほんの僅かの差だったとか。よく見れば俺が鼻の傷以外にも顔には青あざがいくつもできていた。
「ん? そう言えば仲間の一人が「女の協力者は白髪の男」とか言っていたような…………」
「繰り返させるな。余計な口はーーーー」
「は、はいッ、一切しません!」
…………これで問題なし。
ちなみに、俺を『かつ上げ』しようとした理由は、純粋に懐が真冬に突入していたかららしい。普段はリーダーの貴族子息からオコボレ紛いの金銭を得て日々を過ごしており、今日の召集で少なからずの収入があると思っていたようだ。だが、リーダーの命令を遂行できずに怒りを買ってしまい、結局は未収入。そのことも大乱闘に発展した原因の一つ。どうやら、日々の糧にリーダーからの収入を宛にしている者がグループないには結構いるとか。
「や、まじめに働けよ」
「ぐほぉぅッ!?」
俺の無情な一言が、入れ墨のハートにクリティカルヒット。
「で、出会い頭の頭突きと言い、今の容赦のない一言といい、
ただ
者じゃないですぜ、あんた」
「特売はしてないかな」
「………………………………」
「ツッコメよ」
「(ゴスッ)理不尽ッッッ!?」
冗談はさておき。
「女の尻を追いかけてお給料貰おうとか、男として情けないとは思わないのか? 俺がそんな野郎を見つけたら、ジャーマンスープレックス叩き込んでるぞ」
「そ、そりゃぁ俺だってそう思いますよ。けど、俺みたいな社会の底辺にいるような奴が付ける仕事なんて限られてるし…………」
己の境遇には多少思うところがあるようで、入れ墨は俯き気味になる。
「だとしても、木っ端貴族の『お遊び』にいつまでも付き合ってると、いつか必ずどん詰まりになるぞ」
不良を率いて悦に入っている貴族の小童など、家の方も扱いに困るだろうさ。手切れ金を渡されて放逐されるか、悪ければそれすら渡されずに切り捨てられる。そんな奴に従っていたら、道連れに落ちるところまで落ちてしまうだろう。
「正真正銘の裏社会に爪先から頭のテッペンまでどっぷりと浸かって、下手をすれば最終的にトカゲの尻尾切りだな」
そのリーダー格にとって、入れ墨は配下の一人にすぎない。今までが問題なかったとしても、もし将来的に何かがあれば身代わりとして犠牲を強いられる可能性もある。
俺の言わんとする事をどこかしらで理解していたのか、入れ墨は悔しげに唇を噛んだ。厳つい強面と反して致命的に馬鹿ではないな。
気が付くと、俺の中にある『なんだかんだ先生』に火が点いてしまったようだ。
俺はルキスの時のように『底辺に落ちてしまった者』を見てしまうとどうにもお節介を焼きたくなるらしい。同族に哀れみを覚えているのかもしれないな。や、だとしてもお節介を焼く相手は限定的だろうが。
「だったら…………」
俺への恐怖心を一時忘れて、入れ墨が怒りを露わにした。
「だったら! 学も無い、コネも無い、才能も何もない俺がどうすりゃぁいいんだよ! いけ好かない貴族の息子に媚びへつらわなきゃ明日の飯にも困る俺に何が出来るってんだ!」
入れ墨の紛れもない怒気を前に、だが俺は確信に至った。
ーーーーこいつの『根』はまだ腐りきっていない。
根が腐りきっていない木は、環境さえ整えば立派に育つ。
さらに怒りを発しようとする入れ墨に対して、俺は懐からあるものを取り出し、彼の前に突きつけた。
「そんなあなたにお勧め。日銭も稼げる上においしいご飯も食べられる。ついでに宿代も割引になる魅力な職業がこちら」
俺の唐突な行動に気勢を殺がれ、入れ墨の視線が目の前に突き出された『ギルドカード』に注がれた。
「あ、あんた、冒険者だったのか?」
「冒険者になれば、少なくとも収入には困らんだろうさ」
ろくな装備もない内は魔獣の狩猟・討伐の依頼は無理だが、それだけが冒険者の仕事ではない。雑事系の依頼を受ければ命の危険も少なくある程度の日銭は稼げる。俺も時々、庭の草刈りとかの依頼を受けてるしな。
「腕次第じゃ学もコネも無くとも成り上がりも夢じゃない。木っ端貴族の手下なんぞよりもよっぽど健全だろうさ」
「お、俺だって冒険者ってのも一度は考えたさ。けど、冒険者になるには金が掛かる。銀貨一枚なんてとてもじゃ無いが払えないぜ」
あぁ、確かに。一般家庭でも銀貨一枚で小さな贅沢が出来る。それ未満の場所にいる入れ墨じゃぁかなりの大金だろうな。
「じゃあホレ」
ギルドカードを懐にしまうと入れ替わりに、財布代わりの皮袋から銀貨を二枚取り出す。おもむろに差し出された銀の硬貨に入れ墨はすぐに反応を見せず、硬貨と俺の顔を交互に見る。
「ちょッ、なッ、は?」
「勿論タダじゃない。出世払いだ。冒険者になったら三倍にして返せ」
「だ、だったら銀貨一枚でも…………」
「銀貨一枚だったらしばらくの飯代で消えるだろうが。一枚はしばらくの生活費、もう一つはギルドへの申請料だ」
「…………い、いいのか? 無駄になるかもしれないぜ?」
入れ墨が銀貨二枚ともを無駄に消費するかもしれない。ギルドに申請を出しても、登録試験に落ちるかもしれない。あるいは他の理由で俺の渡した銀貨が意味を成さなくなるかもしれない。
「ま、返して貰えたらそれが一番なんだが」
俺は入れ墨の前でしゃがみ込むと、胸ぐらを掴んで顔を引き寄せた。先ほどの記憶が蘇り、またも蒼白となる入れ墨に俺は低い声で言った。
「ただし。これがおまえさんが這い上がる最後のチャンスだと思え。こいつを逃したら、おまえは一生、社会の底辺でくすぶったままで終わる。それが嫌だったら、何が何でもギルドの登録試験を受けて、死ぬ気で合格しろ」
俺の言葉をゆっくりと頭に浸透させた入れ墨は、ゆっくりと頷いた。まだ顔色は悪いがその瞳には決意の色が浮き出ていた。
チャンスは与えた。落ちるか
成り上がる
かは後のこいつ次第。
「ところでお前さん、名前は?」
「今頃っすかッ!? あ、俺はタマルと言います、アニキ」
「…………アニキって誰よ?」
「勿論あんたのことですぜアニキ! 俺はあんたに心底感服しました。これからはアニキって呼ばせてくだせぇ!」
「…………俺の名前はカンナだ」
「宜しくお願いします、カンナのアニキ!」
舎弟の云々は物の例えだったのに、どうやら本当に舎弟ができあがったらしい。
「ところでアニキ、この『セイザ』ってぇのはいつまでやってればいいんですかい? いい加減に足の感覚が無くなってきたんですが」
「……………………ていっ」
「(ツンッ)ほぎゅわぁぁぁああああああッッッ!!」
しばらくの間、俺はタマルの痺れているだろう足をつついて遊ぶのだった。