Will I End Up As a Hero or a Demon King RAW novel - Chapter (608)
591話 スタークス診療所
翌日になって真っ先に向かったのは、ラグリース中部に位置するリプサムだった。
彼女と出会った町であり、今も《ビブロンス湿地》に通っている可能性が高いだろうと、そう思っていたわけだが。
「彼女は1年ほど前の戦争から見かけていませんね。当時マルタに向かう救護部隊に参加していたことまでは分かるんですが……」
ギルドの受付嬢からこのように言われてしまい、ならばまだ向こうに残っているのかと、だいぶ街並みが綺麗になってきたマルタに移動。
顔の広そうなオランドさんを尋ねてみたら、眼帯までして顔面の凶悪さに磨きがかかった顔で唸りながら、それらしい情報をいくつか教えてくれた。
大通りから外れた、民家よりは少しだけ大きいと感じる石造りの建物。
看板には『スタークス診療所』と書かれており、【探査】が反応しているのだから、この中に目的の人物がいることは間違いない。
ハンター相手に狩りではなく、町で治癒に専念する仕事をしてみませんかとお願いする予定だったわけだし、既にそれらしいことをやっているのなら提案自体は楽なようにも思えてくるが……
考えを巡らせながら戸を開けると、むわっとすぐに血生臭い匂いが鼻を掠め、部屋の奥からくぐもった呻き声が断続的に聞こえてくる。
ロビーは長椅子のような寝台がいくつかあるだけの簡素な作り。
さすがに部外者がズカズカと中へ入っていくわけにもいかず、どうしたものかと立ち尽くしていると、暫くしてエプロンのような革の前掛けをした女性が赤く染まった布を手に、別室のドアを開けて入ってきた。
「あ、急患ですか? でしたら……って、えっ、あれ?」
突然のことで混乱している様子だが、マルタで少しだけ見かけたあの時と変わりはない。
「お久しぶりです、アマリエさん。あなたに――……」
「ん、なんだアマリエ。知り合いか?」
用件を伝えようとしたその時、俺の言葉に別の人物の声が被さる。
アマリエさんの後に続いて現れたのは、目つきの鋭い年配の男。
同じように血濡れた革の前掛けをしており、首や頬にも跳ねたであろう血が付着していたが、その男は片腕がなく、一人では外しにくいのだろう。
右手にはめられた革手袋を、アマリエさんが自然な流れで外してあげながら男の疑問に答える。
「え、ええ。私の命の恩人なんです」
「そうか……」
男はその答えにさして興味がないのか。
俺に一瞥くれると、そのまま前掛けを外そうとする素振りを見せながら別の部屋へと消えていく。
んーこれは……
どんな関係性かは分からないが、どうにも気軽に誘えるような空気ではない。
そう感じて、まずはこの状況から把握すべきかと言葉を変えた。
「マルタのギルマスから話を聞いてここに来たんですけど、ハンターであるはずのアマリエさんがなぜ診療所に?」
「同じ救護部隊としてマルタ入りしていた彼に誘われたんです。戦争の爪痕は大きく、決着がついたからと言って引き上げるわけにはいかないから手伝ってほしいって」
「なるほど……あの人も同じ救護部隊で派遣された方だったんですか」
「ええ。彼は私と違い、医師の立場ですけどね」
この町に残って怪我人の治療に当たっていたのだから、アマリエさんは当然として、あの男も志の高い医師なのだろう。
しかし彼の纏う雰囲気は、どうにもそれだけではないようにも思えた。
間違ったことはしないが、生粋の善人というわけではない。
身近なところで言えば、ヤーゴフさんに近しい印象……
と、思考が横道に逸れたところでアマリエさんから声が掛かる。
「えっと、それでロキさんはどうしてこちらに?」
「……うちで【回復魔法】を使った治癒所を求める声が多くなってきたんです。それで真っ先にアマリエさんの顔が浮かんで、声を掛けてみようかと思ったんですけどね」
自分でも、これは厳しいだろうなということが薄々分かっていた。
その予想通り、アマリエさんは俺の言葉に驚き、自分を頼ってくれて嬉しいと言うが、その後は歯切れが悪く答えに詰まっているような、そんな様子。
と、ここで医師だという男が険しい顔つきで戻ってきた。
どうやら少し会話が聞こえていたらしい。
「おい、どういうことだ。彼女をどこかへ連れていくつもりなのか?」
「いやいや、声を掛けさせてもらったのは事実ですけど、無理やりとかではありませんから」
「そうか……優秀な彼女を引き抜くのは勘弁してくれ。補佐がいなくては満足に施術もできんのでな」
そう言って、肘から先がない左腕を軽く上げる姿を見て。
「ではその腕、元に戻ったらいいんですかね?」
疑問が口を衝いて出ると、男は一瞬目を丸くしたあとに冷笑を浮かべる。
「この腕は、20年以上前に失ったのだぞ?」
「え?」
「剣を佩いているということはハンターなのだろうが……その反応、知らずにこれまで過ごせてきたとは幸せなモノだ。いいか?
身
体
は
傷
を
覚
え
る
んだ。だから負った傷を完治させずに放っておけば、同じ魔法であっても次第に効果が薄まり、いつしかなんの反応も得られなくなる。君の顔が綺麗なままなのも、彼女のような回復職が傷を負うたび手厚く介護してくれたからだろう?」
「ちょっとスタークス!? この人は――」
「あ、いや、大丈夫ですから」
慌てたようにアマリエさんが叫ぶも、その動きを俺が止める。
棘のある言葉なんざ今はどうでもよく、それより重要なのは彼が話すその内容だ。
医学系の本は中身が難し過ぎて敬遠していたというのもあるが、この知識は今までで一度も触れたことがない。
だが思い返せば俺は自分に対しても他人に対しても、傷を負ってすぐの状態でしか魔法による治癒を行った記憶がなかった。
精々長いと言っても、生傷が残ったまま生還したリーさんの指や腹を治したくらいだろう。
だから大した知識がなくとも問題なく治せたということか?
「……良い機会ですし、ちょっと試させてもらいますね」
――【神聖魔法】――『治癒』
別に害があることをするわけではないのだ。
途中までしか存在しない腕を手に取り魔法を発動させると、すぐに男の情けない叫びが聞こえる。
「うおっ!? な、なんだこの黒いのは……?」
「こ、これも魔力……? しかも、凄い濃密……」
もう今更隠す気などない。
気にせず様子を窺うも、男の言った通りでこれといった反応は得られなかった。
ならば――、収納から取り出した破天の杖を強く握る。
――【神聖魔法】――『腕を、戻せ』
そして皮膚で覆われた断端部を直視し、発動可能なレベル4の最大魔力をぶち込みながら、骨や筋肉が再生するイメージで魔法を唱えた。
粘ついたように見える魔力が蠢きながら、暫く断端部に纏わりつくが。
「ん~……これでも駄目なのか」
変化なし。
つまりこの状態が正常であると、身体が覚えてしまっているということ。
検証が済み、落ち込むというほどではないが、全力でやっても覆せないほど状態の定着は根が深いんだなと。
そんなことを考えていると、男がボソリと呟く。
「……今唱えたのは、【回復魔法】や【神聖魔法】とは違う何かなのか?」
「いや、唱えたのは【神聖魔法】ですけど」
「そうか……過去に一度、高名な治癒師と出会い、【神聖魔法】による部位再生も試したものだが……いったい君は何者だ? かつてアマリエを助けたというのだから、リプサムのハンターではないのか?」
問われ、なんと答えるべきか悩んでいると、代わりにアマリエさんが肘で男を小突きながら答えてくれる。
「お、王様ですよ!」
「は?」
「新しくできたアースガルド王国の! それにマルタや王都を救ってくれたのもこの人ですってば……!」
「……あの、異世界人と噂の?」
固まったまま俺を見つめる男。
なので小さく頷く。
「異世界人は噂ではなく、事実ですが」
「な、なぜ、そのような人物が、わざわざアマリエを……?」
「うちにまだ、【回復魔法】の使い手が常駐しているような治癒所がなかったんですよ。だからハンターをやっていると思っていたアマリエさんに声を掛けたというだけで、無理にどうこうするつもりはありません。その腕も治せませんでしたし」
かと言って他に当てがあるわけでもない。
どうしても見つからないなら、その時は希望する誰かを力技で、回復職にしてしまうしかないかと。
そのように考えていたが。
「……アマリエ。お前はどうしたい?」
男に問われ、アマリエさんは少し悩みながら答える。
その目は一瞬、男の失われた腕に向けられた。
「私はロキさんに――いえ、ロキ王様に多大なるご恩があります。だから望まれれば力になりたい。でも、そうしたらスタークスの目指す治療が……」
「ああ、そうだな。医療に回復職の力は必要不可欠。だからというわけではないが」
男は一度言葉を切り、俺を正面から見据える。
その鋭い瞳には、貫くような強い意志が宿っているように感じられた。
「先ほどまでの非礼はお詫び致します。つきましては私も、アマリエと共に仕わせていただくことは叶わないでしょうか?」
「えっと、仕えるとかそんな大それた話ではないんですが……というか、ここの診療所はどうするんですか?」
当然の疑問を投げかけると、男は頷く。
「抱えている患者がいるので今日明日というわけではないにしても、一度ここは閉めることになりましょう。戦争の終結からもう1年、当初は山のように加療を要する人間で溢れていましたが、マルタもだいぶ落ち着きを取り戻し、私達がこの街に居続ける理由も薄らいできたところでしたから」
言いながら男は、見てくれと言わんばかりにロビーを手で示す。
確かに俺が来た時から人はおらず、その後も誰一人この診療所を訪れてはいない。
だが……なんだこの引っ掛かりは。
本音を言えば、傷の治癒だけでなく病にも対応できるようになるのだから、医師という立場であるこの男はぜひベザートに欲しい人材だ。
しかも【医学】のスキルレベル7とか、かつて人と魔物を組み合わせようとしていた狂人に次ぐくらいのスキルレベルとなると、探してもそう簡単には見つからないほどの逸材だろう。
しかし男の表情を見ていると、己の我欲を満たすために何かを隠しているような、そんな雰囲気が感じられしまう。
「まずアマリエさんも、それにスタークスさんも、畏まられるのは苦手なので普通の話し方にしてください。それと仕えてほしいなどとは思っていなくて、あくまでうちの町――ベザートで、住民のための病院を開業してほしいんです。もちろんこちらがお願いしていることなので、開業までに必要なことがあれば僕も手伝いますけどね」
「それはつまり、ここと同じように、自由にやってもいいと?」
「ええ、それが多くの住民のためになるのなら」
「ならば尚更に好都合というもの。ロキ王様の期待に応えられるよう、痛みや不自由を感じて苦しむ患者を私がこの手で救ってみせましょう」
……これで地位や立場を求めているわけではないことが分かった。
たぶんこの立地や建物の雰囲気からして、富を求めているということもないだろう。
それなら町をボロボロにされて金どころではないマルタに残ったりはしない。
となると、なんだ……
俺があのイカレ野郎のせいで、高レベルスキルの医者は危ないと思い込んでしまっているだけなのか?
「……1つ教えてください。スタークスさん、あなたがうちに移りたい理由はなんですか? 医療と回復職の繋がりくらいは想像できますが、だからと言ってアマリエさんに拘る必要まではないと思いますし、あなたの本音を聞きたい」
これで答えがアマリエさんと恋仲にあるとか、そんな話で済むならそれでいい。
むしろその程度の答えであってほしいと思いながらの問いに、男は一度大きく息を吐いてから観念したように答える。
「……それはあなたがいるからですよ、ロキ王様」
「「えっ?」」
全身を舐めるような眼差し。
アマリエさんは横でお化けでも見たような驚愕の表情を浮かべ、自然と俺の手は股間を守るように覆っていた。