Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (125)
夢見る少女は垣間見る
『悪かったよ、夏川』
突然、渉から頭を下げられた。脈絡の無い謝罪に戸惑ってしまう。根元が黒くなりかけた茶髪を見て、どこか懐かしさを覚えた。
『打っても響かず、殴った分だけ懐いてしまう。普通に考えたら頭おかしいよな』
何の話だ──と思うものの言われた内容については同意だった。確かに、殴った相手に懐かれても困る。内容自体は至極真っ当──でも、突然そんな事を言い出す渉が真っ当のようには思えなかった。
(突然なに──え?)
返そうとした言葉が出なかった。何かを悟ったような顔でこちらを見る渉を見返すことしか出来ない。でも、不思議とそんな自分に疑問を持つ事は無かった。それに、この光景と突拍子も無い言葉を投げ付けられた感覚は初めてではない気がした。
『打たれりゃ響く。殴られりゃそれだけ吹っ飛ぶ。嫌われたらもう近付かない。人間関係なんて普通そんなもんなんだろうな───だから、そういった今時の“当たり前”を汲んで空気を読む事にするわ。いつもよりもうちょい落ち着きを持てるようにするから、宜しく』
(そんなの無理よ)
聴いて呆れた。訳知り顔で何を言い出すかと思えば……空気を読む?落ち着きを持つ?この男が今まで最も出来なかった事だ。どれだけ振り払っても、罵声を浴びせても、それでも自分に纏わり付いて来た。注意をして来た周囲の子に威圧をしてた事もあった。何度言い聴かせても利かなかった癖に、どの口がそんな事を言ってるのか。
『付いて来ないでよ!』
『ああ』
どの口が───
『ほ、ホントに来ないの……?』
『え……?』
…………。
(………ぇ………?)
違和感を覚えた。おかしい……この違和感すら、前にも経験した事があるような気がする。物を掴んだつもりが水だったような、水に触れたつもりが空気だったような、指の隙間から何かが抜けて行くような、肩透かしを食らうような感覚。
そうだ、
そんな佐城渉
を自分は知っている。決して我を曲げようとしなかった彼が、当たり前のように身を引いて行く姿を見た事がある。
傍から消えた男の子。いつも居たはずの時間、ふと教室の中で視線を
彷徨
わせても居なかったり、居ても、声の届かない遠くで誰かと話していたり。
そんな事が積み重なって生まれた焦り。自分本位で、とても褒められたものじゃない感情。まるで自分の“存在意義”が奪われたかのような錯覚。
友達がたくさんできた。家にも呼んだ。それなのに、いつだってそこに在るのが当たり前だった“居場所”が溶け落ちてゆくような感覚。満たされてゆく何かと反比例するように、燃えて灰になって穴だらけになっていく何か。
『俺みたいにキモくて悪影響与えそうな奴は近付かせないんじゃなかったっけ?』
やめて。もうわかったから。空気を読んでるのはわかったから。自分に気を遣って距離を置いてるのはわかったから。だからもう、そうやって───
『俺達はそういうの、もう終わってるから』
離れて行かないで────
「───ッ………!?」
夜明けだった。薄暗い部屋、無音の空間。寝起きだと言うのに欠片も
微睡
みが無い。ベッドの上で膝を動かすとタオルケットが擦れる音が鳴った。
(………わたる…………)
思い出すのは2つ。佐城渉が登場し、自分が何かを失いそうになっていたこと。怖い夢だった。具体的な事は思い出せない。でも、その夢が本当に怖かったかどうかの正誤は、首から胸にかけて伝う汗が証明していた。
(………ばか…………)
八つ当たりなのは自覚している。それでも文句の一つは言いたい気分だった。昨日何があったかはわかっている。それでも一晩寝て忘れた
感情
は確かにあった。
枕元のスマホから充電ケーブルを外す。そのまま立ち上がったスマホを操作して、親友と“彼”を加えた3人のグループを開いた。そこで気付く。何となく、自分はもう何の意味もなしに彼に文句を言えるような立場じゃないのだと。
「………ばか」
身体の怠さは感じない。単純に夏の名残りにアテられただけのようだ。タオルケットをしっかり被って寝たのも仇になったのかもしれない。薄目で時計を見上げれば4時半を回ったところ。側には誰も居ない、どうやら“妹の膝打ちで起きる日”じゃなかったようだ。
(…………眠くない)
やや早過ぎる時間。実は珍しくない。自分の生活リズムが愛する妹を中心に回ってる事を考えると十分に寝てるとも言える。それにまた寝れる気がしない。今日は学校──このまま起きて準備すれば、母の負担を減らす事ができる。そうだ、そうしよう。
汗で湿った胸の下と背中を、冷たいボディーシートでそっと拭った。
◇
「………」
考えれば考えるほど募るものがある。それは佐城渉に対するもどかしさだ。
もどかしさは入り混じった感情で出来上がる。それを一つ一つ紐解いて行くと、不満や気まずさ、申し訳無さが大部分を占めていた。
中でも不満の原因は彼に対する疑問が晴れない点だ。常日頃からぶつけることが出来ずにいるものも多くある。それは親友の芦田圭を含めた“3人”の関係を壊さないためでもある。でもそれは自分の中で納得した上で呑み込めている。
“そうじゃないもの”。これこそがその不満を膨らませていた。
どうやってあの“四ノ宮凛”と知り合ったのか。
何であの“四ノ宮凛”とそんなに親しげなのか。
どこでアルバイトをしていたのか。
同じクラスの一ノ瀬深那と仲を深めたきっかけは何か。
どうしてあんなに懐いているのか。
“アレ”以来、例の大人っぽい女子中学生と会っているのか。
実際どのくらいお姉さんと仲良いのか。
同じ中学というだけで女の子を名前呼びするものなのか。
ちょっと親しげな女の子多くないか。
(ちょ、ちょっと待って……)
疑問を整理して、頭の中で羅列して、自ら焦る。改めて取り上げてみると何だか異性関係が多いような気がする。気軽に訊けないわけだと納得した。それを気にかける自分に気恥ずかしさを覚えた。
それでも、“昨日のアレ”が無ければ。無自覚で居たままなら、どこかで訊けていたかもしれない。学校に着いてもうすぐ顔を合わせると言うのに、一晩寝る事で薄まっていた“気まずさの極み”がまたぶり返したように思えた。
「──あ!噂をすれば!」
「?」
声がして顔を上げる。見れば、昇降口の前で親友の圭が大きく手を振っていた。朝練上がりだろうか。“朝の調子”とはかけ離れた機嫌の良さに少し気遅れする。
「おっはよー愛ち!抱き着いて良い!?」
「おはよう圭。暑いからやめて」
目の前まで来て今にも飛びかかって来るんじゃないかという姿勢でぴょんぴょん跳ねる彼女。両手を小さく前に出してストップをかけた。まだまだ暑い中、やっと学校に到着したところで
火照
った体と密着するのは気が引けた。
ちょっと残念そうに口を尖らせる様子に苦笑する。
「おはよ、夏川」
「おは──ぁ………」
何気無くされた挨拶。朝の恒例行事。反射的に返事をして声の方を見上げる。圭の向こう側に居る人物を見て一瞬呼吸が止まった。
(──渉……)
自分と同じ、苦笑の顔。少し困ったような表情をしているのは圭のテンションが高いからだけだろうか。そんなわけがない、昨日あんな事があって気まずくないはずが無い。彼は何でもない“ただの朝”を装ってくれている。たぶん、
いつも
のように───。
(あ………)
手を軽く上げて、“おはよう”って言うだけ。ただのクラスメイトでも簡単にできる事。それなのに、真っ直ぐこちらを見つめる渉にそれを返す事が出来なかった。やっとの事でできたのは、口角を引き攣らせながら目で会釈することだけ。ダメだ、こんなのあまりにも不自然すぎる。
「……? 2人とも、何かあった?」
「……!」
「え? い、いや? 何も?」
唇を尖らせてた圭が何かを察したのか、キョトンとした顔で渉と自分を交互に見回した。心臓が飛び出すような心地になっていると、直ぐに渉が誤魔化してくれた。自然な返しではなかったけど、それでも自分が何か返事をするよりマシだと、声を上げる手前で呑み込んだ。
「暑いし、さっさと教室行こうぜ」
「もう慣れたよー」
「ヤベーな」
「ヤバくないし」
「……」
直ぐに話を切り替える渉。その意図が解る。今までこんなにも彼の動きが読めた事はあっただろうか。今までにも、こんな風に誤魔化していた事があったのだろうか。家に招いた時。学校の中庭で2人きりになった時。それから、一緒に帰った時。
一度でも、自分は彼の本音に触れていたのだろうか。
「さじょっちもちょっと前まで夕方走ってたんでしょー? 暑い時期が絶好の機会なんだからまた始めりゃ良いじゃん。慣れるよ?」
「や、慣れねーし。何の絶好の機会なんだよ。大体、あん時はそれなりに目的があって走っ──………あ?」
「ほぇ……? 何かさじょっちんとこから落ち───ん!?」
「ぇ──」
考えながら靴を履き替えようとして、視界の端に落ちた物を見て、思わず固まる。時間にして1秒も無かったように思う、ただ、それでもほんの僅かな文字をじっくり読むことはできた。
『佐城くんへ』と、明らかに女の子の字で書かれた1枚の白い便箋。四方の
縁
を淡い色のリボンの絵で彩られていた。
(渉が、ラブレター……? 渉が……───)
今日、見ていた夢を思い出せそうだった。