Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (156)
悶々の朝
「………なんそれ」
「んぇ? ああ………」
朝。スムージーをキメこむ姉貴に言われて視線の先を辿ると、俺の襟に雑に巻き付けられたネクタイがぶら下がってた。仕事帰りの親父かよ……そもそもネクタイ結んだ記憶すら無いんだけど。
「貸しな」
「あちょっ……」
くっ、とネクタイを引っ張られて姉貴の前に立たされる。無くなりかけのプラスチックのシェイカーを口に
咥
えたまま、姉貴は俺のネクタイをほどいてから結び直した。
「ほら」
「サンキュ。さすが副会長」
「言ってな」
姉貴は俺の煽りをサラッと流すと、シェイカーを咥えたまま天井を仰いで残りわずかな中身を口に流し込んだ。どこの器用さ磨いてんだよ……。
「こらっ、楓! 容器を流しに放らない!」
「ごめーん」
中身が空になったシェイカーをそのまま流しにぺいっと放った姉貴。お袋から怒られて謝ってんのかよくわからない態度でリビングから出て行った。
いつもならそっちのけにする朝のやり取り。巻き込まれないようにそっぽを向いて食パンを齧ってるはずだけど、今は意識を自分だけに向けるのが苦痛に感じた。
「……ふぁ……………」
気にするほどの事じゃないと自分を誤魔化した昨日の帰り道。家に帰ってからは忘れかけてたはずなんだけど、どうも俺は寝る前にベッドの中で一日を振り返る癖があるらしい。昨日の中で間違いなくインパクトが一番強かったのがあの帰り道での出来事だった。
抱き竦められた背中。夏川本人が〝つまずいた〟と言うからにはそうなんだろう。けど、気にするだけ無駄だと直ぐに割り切るにはインパクトが強すぎた。
───やらかかったなぁ………。
悶々とし過ぎてほとんど眠れなかった。俺と夏川の関係性とか気まずさとか、今日どんな顔して会えば良いのとか、それはそれとして男子高校生の本能的な別の問題があった。久しぶり思春期、元気にしてたか?
いや………こう、なに。時間の感覚は忘れていたけど温もりと感触だけは脳みそに強く焼き付いてるわけで………しかも制服は夏服だったわけで………つまずいた勢いのせいかギュッと抱き着かれたわけで……ホント何これ、あまりにも強すぎて幼少期に煩悩を封印した過去でもあるの俺。夜の寝る前ならわかるけど………でも朝はダメじゃん……。
カリッカリの硬い食パンを強く噛みちぎって、脳みそを揺らした。
◆
昨日の夏川とのやり取りが事故だったからって、素知らぬ顔でいつも通りに顔を合わせられるかと言われれば無理がある。それなのにこんなときに限って俺と夏川の席は前後なんて、嬉しいのか不幸なのかよくわかんない───や、嬉しいな。改めて思い出したら心が弾みまくってる俺が居る。後ろで夏川が俺の後頭部見つめてるってだけでもう堪んねぇわ。だから最近授業に追い付けねぇんだな、ようやくわかったわ。
「──あ」
登校して教室に入れば既に座ってる夏川。机にあるのは古文の課題プリントだった。昨日も遅かっただろうし、愛莉ちゃんの世話のことも考えるとそんなに時間が取れなかったんだろう。古文は五限目だし、朝の段階から空き時間の合間を縫ってやれば、まぁ間に合うだろ。うん、俺もやんなきゃ。
重要なのはここからだ。無視は論外──席が前後で無言の着席とかありえねぇ。気まずいのはお互い様のはず………ここは男の俺がリードしていつも通りの挨拶を───
「あっ、おはよ。渉」
いつも通り……だと?
え、マジ? あんな事があってそんな普通に居られるもんなん? 何にも意識されてない感じ? 逆にショックなんだけど。何ならいつも以上に穏やかな頬笑みなんだけど。え、ホントにどゆこと? もしかしてマジで昨日のアレ夢だったん? じゃあ何、気まずいの俺だけ?
てかそうじゃなくても何で夏川は気まずそうじゃねぇのよ。前に
同中
だったハルと鉢合わせて以来、気まずいはずじゃねぇの? 実際あれから夏川とは一緒に文化祭に向けた仕事をしたり一緒に飯食ったり一緒に帰ったりと、ろくに話して───ん? んんん? 気まずかったん、だよな?
てかめっちゃ一緒に居ない? 何ならストーカー時代より───誰がストーカーだよ。ちょっと好き過ぎて付き纏ってただけだから。英語でそんな奴のこと何て言う? それが答えだ。ヤバいな。
「ちょっと」
「えっ」
気まずさも極まって取り繕うことも出来ずに居ると、気が付いたらすぐ目の前に夏川が居た。いやさっきから目の前に座ってたんだけど、それよりも目の前に夏川が立ってた。ちょっと待って、そんなの心の準備できてない。
「ネクタイ、裏のが出てる」
「え、マジで───………………ん?」
「な、なに……?」
「あ、いや、何でもねぇけど」
スッと俺のネクタイに手を伸ばして整えてくれる夏川。家を出る前までぼんやりしてたしな、なんてドキドキしながら任せるも、違和感に気付いた。
───姉貴が直してくれなかったっけ?
自分でも確認し直したつもりが出来てなかったらしい。それか道の途中で風に煽られてどうにかなっちゃったか………季節の変わり目で風強いからな今。何にせよ、胸にときどき伝わる体温とあの時と同じ香りが漂って来て自分と戦うしかなかった。
「か、髪も……」
「えっ、いやいや」
どうも寝不足も相まってか全体的にだらしない感じになってるらしい。どうせ前みたいにベタベタとワックスを付けてるわけじゃないし、自分で手櫛すれば済む話。距離が近すぎてヤバいのもそうだけど、少しの身だしなみ程度ですぐに異性にボディータッチをしちゃう夏川に危うさを感じた。愛莉ちゃんに甲斐甲斐しくするのはわかるけど俺はヤバい。
「こんくらい自分で───」
「じ、自分じゃ見えないでしょっ……」
「ええっ……!?」
く、食い下がってきた……!?
何で? え、もしかしてそんなに俺の髪型やばいの? 自分で触った感じじゃどこも跳ねてる感じしないけど……。それとも何か? 思わず甲斐甲斐しくなっちゃうほど俺の背中から哀愁漂ってた? 悶々としてるだけで悩んでるわけじゃないんだけど。強いて言うなら伸びた鼻の下が元に戻らないくらい。もしかしたら鼻の下だけゴム人間なのかもしれない。
「───やっほ。どしたの二人とも。いちゃいちゃしちゃって」
「っ……!」
手を伸ばして来る夏川を躱してると、後ろから声が割って入って来た。同時に夏川がサッ、と離れる。振り返ると、部活の朝練上がりの芦田が居た。
「べ、別にいちゃいちゃしてなんてっ……!」
「やー、朝からお熱いね。制服まだ夏物から替えなくて良かったよ」
「もうっ……! なに言ってるの!」
そうだぞ! なんてことを言うんだ芦田! ホントに気まずくなるだろ!
なんて言い返す余裕も無く………後から襲って来たドキドキでそれどころじゃなかった。いやこれもうドキドキってか動悸だな。思わず心臓のとこ押さえちゃってるし。十代にして血圧に殺されそうなんだけど。完全犯罪じゃん。やっべぇな女神。
「にひひ。いやさ、ちょっと前まで愛ち、忙しくて疲れてるっぽかったからさ。安心したよ」
「あ………」
歯を見せて笑う芦田。夏川がぷんぷんする様子がむしろ嬉しかったみたいだ。確かに、ちょっと前までの夏川は忙しそうで芦田がじゃれついても反応が薄い時期があった。こう見えて人の機微とか敏感な芦田だから、夏川の様子にも気付いてたんだろう。
「一日一回のハグ!」
「きゃっ……!? ちょっと……!」
おい芦田おまっ──ハグ!? 一日一回だと!? お前そんなことしてたのか!? そんな堂々と恥ずかしげも無くなんつー羨ましい事をっ……! 土日もか! 土日も会ってそんな事してたんか! 俺なんか昨日の一回で限界───うわああああ感触がァァァァッ!!!
「もうっ……圭!」
「おい芦──あ?」
いくら芦田様とて許せぬ───そう思って光弾を放とうとすると、夏川の肩から顔を出す芦田が俺を見た。無邪気、というより何か含みのあるニパッとした笑顔を向けてきた。見せつけてるだけかもしれないけど、何かを俺に伝えてるように思えた。
何文字だったか、嬉しそうな顔で口パクされた言葉が何か、俺にはよく分からなかった。