Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (192)
持つべき力
「あれは……」
駐車場を通り過ぎてロータリーに差し掛かると、その先には来た時とは違って白光りする長めの車があった。いよいよ本物の金持ちって感じの車だ。今からあれに乗るのだろうか。
「〜♪」
「うっ……」
前を並んで歩く姉貴と
結城
先輩の背中を追いかけている最中、たびたび視界に入ってくる強烈な視線。右隣で前後に動きながら、俺はあらゆる角度から観察されている。
「あの、何すか……」
「
楓
の弟クン〜♪」
「いや、ちょっ……」
すり、すりと素材の触り心地を確かめるように、俺の右肩から上腕にかけてを撫でる
鬼束
先輩。姉貴の弟と分かってから明らかに注目されている。これはっ……もしかするとシンプルに俺に惚れているだけかもしれない……!
「
玉緒
。ダル絡みやめな」
「だってずっと内緒にされてたんだもん〜」
「あ、こらッ!」
横からしなだれかかるように抱き付いてくる先輩。体重の乗った接触に決して勘違いじゃない肉感が脇腹に伝わって来る。惜しむらくは制服のブレザーであまり直接的に感じられないことだろうか。夏に出会いたかった……。
「あたっ☆」
姉貴とはまた違ったギャルの匂いを感じていると、鬼束先輩の頭をはたき落とす様なチョップが飛んで来た。いや痛い痛い……衝撃が患部の左手にも伝わるんだけど。
ズルッと離れた鬼束先輩は「あいたた……」と自分の頭を両手で押さえてあざとく痛いアピールをしている。振る舞いだけなら年上とは思えないものの、受験生ならではの染め立ての黒髪がギリギリ先輩感を保っている。
「この子はまたこういう……」
「やっぱギャルって距離感バグってますね……」
「鬼束の場合、それだけではないと思うがな」
「……?」
「今回のことだが……」
返された言葉に引っ掛かりを覚えて首を傾げていると、結城先輩は顔だけでなく体もこちらに向けて俺の目を見てくる。距離も近いせいで俺は見上げるかたちになってしまう。何だこの身長差は……理想的なキスが出来てしまうじゃないか……。
「すまない……予見できなかった」
突然の謝罪。頭は下げずとも、視線は地面に向いていた。いつもの淡々とした口ぶりとは違って、息遣いだけで放たれた言葉尻からは後悔の色が滲み出ているように感じる。頼れる生徒会長様は俺が知る限り狡猾だ。これが演技か本心か……見抜けるほどの目を俺は持っていなかった。
「……」
鬼束先輩から視線を外し、こっちを見て腕を組む姉貴は何も答えない。どちらかと言えば脳と口が直結している人間だ。本当に今回の責任が結城先輩にあると思っているのなら、姉貴はすぐさまその通りだと責め立てているだろう。だけどそうしないということは、強気に出れない何かがあるという事だ。他でもない───俺がそう思っているように。
「『二度と近付くな』……ね。そう簡単に上手くいくかね」
姉貴が俺を見る。俺も、その迷いの色が滲んで揺れる紫紺の瞳に目を合わせる。いつかの屋上の時のようだ。
「……何を」
思わず責めるように放ってしまった言葉に、結城先輩は怪訝な表情を浮かべてこっちを見ている。サラッと流してくれるとでも思っていたのだろうか。俺が結城先輩のことを深く知らないように、結城先輩も俺が何を言い出すか予想できないのだろう。
「入学してから姉貴の噂をよく聞く。随分と影響力が大きい存在らしいな。だけど、影響力は大きいほど自分じゃ制御できなくなる。『身の丈に合わない力を持てばろくな事にならない』って言ってたけど……それは姉貴が言えることなのか?」
「待て。そもそも
茉莉花
との一件は俺に由来するものだ。楓は一方的に恨まれたに過ぎない。責任は楓には────」
「お嬢だけなんですかね?」
「……なに?」
「姉貴を恨んでいるのは……お嬢だけですか?」
「……」
確かに今回の一件は特殊だった。結城先輩とお嬢が許嫁であるという関係性から端を発して起こった珍劇。逆恨みには間違いないものの、力のあるべき所在である結城先輩ですら察知することができなかった。どちらかと言えば姉貴ではなく結城先輩に非があることは間違いないんだろう。だけど、結城先輩の姿勢だけでお嬢があんな凶行に及ぶとも思えない。
「過去、
鴻越
高校に事件があった事は入学してから知った。詳しくは知らないけど、今の生徒会の働きかけがあって収まったことくらいは把握してる。数年前まですぐに手が出るヤンキーだったんだ。姉貴を恨んでる人間がお嬢だけとは正直思えない」
「それは……」
自覚があるのか、姉貴は視線を落として俯く。理由はどうあれ、一つの形で姉貴は危害を加えられようとしていた。少し違った選択をしていれば、裁ちバサミは俺の左手じゃなくて姉貴の頭蓋に穴を開けていた可能性があった。まさか、自分ならその力をもって制圧できたなんて楽観視しているわけでもないだろう。
「『弱いからこうなる』『弱いから戦えない』『だから力を持つ必要がある』────どれも昔、姉貴が言った言葉だ。この先もそうやって周囲を蹴落とし無駄に力を付け、敵を作っていくつもりか?」
「待て、いったい何の話を……」
「親父は家族を守るために立場を捨てた。結果、親父は思惑通りに
守りたいものは
守る事ができた。だからこそ今の俺たちがある」
「……アンタッ……!」
親父の名前を出すと、姉貴は顔を上げて俺を睨んだ。憎んでこそいないものの、反面教師にしている存在を引き合いに出されては黙っていられないだろう。
「今でもまだ、親父はあのとき間違ったと思うか?」
「……ッ……!」
姉貴は拳を固く握り、怒った顔で歯軋りを見せている。今にも俺に飛びかかって来そうだけど、それももはや慣れたものだ。俺の言うことを受け入れられないのは顔を見ればわかる。だけど、感情に身を任せて力を奮うには大人過ぎたようだ。なまじ、姉貴が守りたいものに俺が含まれているせいかもしれない。
「───
楓は
間違ってないよ〜」
「ちょっ……玉緒……!」
瞬間、鬼束先輩が勢いよく姉貴に抱き着く。突然のことに姉貴の顔から怒りの表情が消え、困惑の色が浮かんだ。同じように、俺も盤上をひっくり返すような鬼束先輩の行動に何の反応もできなくなってしまう。
「楓が居なかったらウチはここに居ないし〜、学校も今みたいになってないし〜、楓はスゴいんだよー?」
「え……」
「それに〜、楓が誰に恨まれようと、ウチらがどうにかするもん。ね? 生徒会長さん?」
「……ああ。その通りだ」
「……」
頬をくっ付けられ、苦悶の表情で鬼束先輩を押し剥がそうとする姉貴。その馬鹿力をもってしてもギャル友の吸着力を上回ることはできないようだ。生徒会長さんが羨ましそうに見ている。いやちょっと待て。
「足つかれた〜、早く行こっ」
「わかった! わかったから離せ!」
「おけまる〜」
「……」
姉貴が鬼束先輩から強引に引っ張られていく。初めて見る存在だ。まさか姉貴を思うがままに操るとは。俺にも優しいギャルだし、さてはただ者じゃないな?
「……気は済んだか?」
「まぁ。そもそも、俺だって何が正しいかなんて分かってないですし」
「……そうか」
そもそもそんな深いことを考えて普段を生きていない。ただ一つ心がけていることがあるとすれば、不用意に余計な責任を負わないようにしている事だ。実現できているかは別として。
「じゃあ……俺もあの高級車に失礼して……」
「───何があった」
「え?」
断りを入れてお邪魔しようとしたところで、結城先輩から低い声で言葉を続けられた。
「楓のことは過去に調べた。出身地、家族構成、出身校、交際歴……お前という弟が居ることもそれで知った」
「えぇ……」
突然暴露されて反応に困ってしまう。何だこのストーカー、姉貴のこと大好きか? だからこそ今回の事が起こったんだろうけど。お嬢も惚れる相手を間違えたなぁ。顔だけで得しやがって……フツメンだったらお嬢も執着してなかったぞ絶対。
「だが、楓やお前と接しているうちに、不意に知らない過去が出てくる事がある。普通ならうちが調べれば出て来るような事だ。少なくとも楓とお父上の仲の話なんて聞いたこともない」
「や、まぁ、普通そうなんじゃないっすかね……」
そもそも
他人
の家の情報なんてどこから調べてるんだよ。書類に載ってること以外の過去のエピソードなんて知らないのが普通じゃねぇの? どの次元の話で当たり前を語ってるのかわからないんだけど。
「別に、親父と姉貴の間に確執なんて無いですよ。考え方が違うだけで」
「そう、か……」
姉貴は親父を強く非難した事がある。でもその一方で、的確な判断で家族を守ってみせた親父を認めているのも確かなんだろう。普通に日常会話してるし。
一人、引き際を誤った男が居た。いま思えばあれは幼い姉貴にとって憧れを抱くような初恋だったんだろう。あの時から、姉貴は弱さを嫌うようになった。
あの時から、俺は姉貴のことが理解できなくなった。